延命院(将門山)

所在地 茨城県常総市神田山
祭 神 延命地蔵菩薩、不動明王、観音菩薩、毘沙門天、大威徳将門明王
ご利益 所願成就、戦勝

中央の「南無阿弥陀仏」の碑は昭和50(1975)年に千代田区大手町の「史蹟将門塚保存会」つまり将門公首塚から移されて寄贈されたものです。「大威徳将門明王」の碑は当院住職・倉持照最氏が建てたものだそうです。他にも岩井の人達が寄進したものなど、周囲には多くの石碑・板碑・石像が建っています。

この地は相馬御厨(そうまみくりや=伊勢神宮の神領)だったため、朝廷も手が出せず、今日まで塚が暴かれることがなかったといいます。では誰が胴を埋めることを許可したのでしょう。じつは将門は下総の開墾地主であり、相馬御厨の下司に任ぜられていたのです。将門は少年時代、京にいて太政大臣・藤原忠平(ただひら)に仕えていたことも関係していたのでしょうか。

ここの地名は神田山(かだやま)といいますが、やはり将門を祀る東京の神田神社(神田明神)と同じ字です。胴…つまり「からだ」が転じて「かだ」とか「かんだ」になったという説もありますが。これはちょっとこじつけのような気もします。特にここは神領=神の田だったわけですから、わざわざ生臭い説を採用する必要もないでしょう。

右は「埋蔵文化財 将門山古墳」左は「天然記念物 カヤ」とあります。この写真の左は境内にある不動堂で、ここはその不動堂裏になります。円墳(胴塚)といわれていますが、大きなきカヤの木の根元がそのまま盛り上がった感じです。この塚を将門山、または神田(かだ)山といいます。
将門が未だ国賊扱いされていた頃、不動堂を拝むと、同時に将門山も拝めるように配慮されたのでしょうか。

 

その塚をご覧のようにお地蔵さんが取り囲んでいます。というより、静かに見守っているという雰囲気です。将門を愛して止まない人々の思いが込められているようです。

カヤの木を囲むように、このように石塔が立っています。他の写真を見ますと木塔なども立っていた時もあったようです。将門を偲ぶ人がいつの時代にも途切れることなくいたのでしょう。

延命院の境内は広いのですが、大仰な塀に囲まれているでもなく、どこからどこまでがお寺なのか、あまりはっきりしません。大きくて派手な堂宇もなく、ご覧のように小ぶりで質素な毘沙門天堂や観音堂がポツリポツリと建っていました。

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