鹿島神宮

所在地 茨城県鹿島市宮中
祭 神 武甕槌(たけみかつち)大神
ご利益 家内安全、交通安全、大漁・五穀豊穣、武道必勝、除災招福ほか

上の写真は楼門です。寛永11(1634)年に家康の11男、初代水戸藩主の徳川頼房公が奉納したということで、日本三大楼門の一つだそうです。

武甕槌は建御雷之男(たけみかづちのを)神とも書かれます。縁起というか神話では天照大神の命令で大国主命と国譲りの交渉をした神、つまり高天の原の外交官兼武官みたいなものです。大国主命の次男・建御名方(たけみなかた)命と戦闘し、諏訪の地に追放している。その後、関東以北の開拓と鎮撫を任され、初代神武天皇が使いをこの地に遣わせ、当神社を創建されたことになっている。つまり関東最古で最大の神社というわけです。すごい。さすがに広大な境内を持ち、その広さ20万坪といいます。
ちなみに長男の事代主(ことしろぬし)命 は武甕槌と経津主の要求に応じています。事代主は一言主ともいわれ、同じ茨城県内の一言主神社にも祀られています。

近くには沼尾社、坂戸社、大生社、川を挟んで香取神宮、側高(そばたか)社、大戸社などがあり、それぞれが古代から関わっていたといいます。この地は都から見て東北、つまり蝦夷地との「国境」「最前線」であったのです。たからこそ多くの神々を祀ったのです。武甕槌がここに祀られるようになったのは800年代、9世紀以降のことです。じつは武甕槌は藤原氏の祭神でした。この頃から鹿島、香取は春日神社と深く係わります。それにしても古い話ですよね。

ここには昔ながらの祭りや伝承も多く残っています。祭頭祭(さいとうさい)や御舟祭、男女の縁を結ぶ常陸帯(ひたちおび)の習俗などです。

でも、私がここを訪れた第一の目的はそんな深遠な歴史などではなく、じつは「要石」なのです。地震を引き起こす鯰を押さえているというアレです。なんといっても、いつ関東地方に大地震が来るかわからないご時世ですから…我が家も古いですし。よく拝んで地震除けのおふだも入手しておかないとね…

社殿はさすがにご立派。この向かいには仮殿もあります。

社殿を横から見たところ。正面からは想像もできぬ豪華さです。

一転、古めかしくて超シブイ奥宮。 こちらはもともと徳川家康公が奉納された本殿でした。江戸時代初期の造営の際に移されました。本殿から奥宮まで続く広くて立派な奥参道は、そのときに整備されたといいます。

ありました!。垣に囲まれた小さな石の頭が…これが要石ですか…ふう〜ん、という感じですが、黄門様が家来に七日七夜掘らせたがとうとう堀りきれなかったという話が残っています。ここに鹿島の神が降臨されるそうですが、もっと不思議なのは、この下に鯰がいるという発想ですよね。
周りに散らばっている白いものは1円玉です。黒っぽい部分には水が溜まっていました。

俗っぽいですが、これを見て「ああ、やっと鹿島神宮へ来たな」という実感。「大鯰の碑」といいます。奥宮と要石の中間地点、森の中の五差路に建っていました。誰もいないと迷子になりそうなくらい広いです。
御手洗(みたらい)池の端にある「禊の場」古くからあり、枯れたことがないそうです。だんごを売っている茶店が2軒あります。
ここは鹿島神宮から車で5分ほど離れたところに鎮座する「鎌足神社」。あの大化改新を断行した藤原鎌足を祀っています。一説によると鎌足は鹿島神宮の鎮座する地(つまりここです)で出生したということです。ただ、奈良の橿原説もあります。

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