香取神宮

所在地 千葉県佐原市香取
祭 神 経津主(ふつぬし)大神
ご利益 国家鎮護、国運開発、民業指導、武徳ほか

経津主大神は斎主神または伊波比主命(いわいぬし)ともよばれる。鹿島の神・武甕槌とともに大国主命に国譲りの交渉に当たったとされ、両神とも神話時代の無双の武神とされるが、斎主神の名から、香取神は鹿島神の斎主ではなかったかという説や、この二神はもともと同じ神であったという説などがあります。また、鹿島神を武甕槌の荒魂(あらたま)、香取を武甕槌の和魂(にぎたま)とする説もあります。いずれにせよ、この二神は中臣(藤原)氏の祭神で利根川河口を挟んで、非常に深い関係にあります。

経津主のフツとは剣がモノを切るときの音をあらわしているといいます。社殿はそのように硬派の神を祀るのに相応しく黒を基調にした非常にシブい佇まいです。私はとても好きです。

やはり私がここを訪れた第一の目的は「要石」です。

権現造りの社殿は本殿(後ろ)側から見てもシブい。

拝殿(正面)から奥の神鏡を覗かせていただきました。

社殿とは対照的な朱の楼門。

要石の手前にある護国社。小ぶりで地味だが静けさの中に鎮座していて感じがよい。

お目当ての要石。このおかげでこの地方に大地震は起きないと信じられている。やはりこちらも黄門様が掘らせたそうだ。

以下、解説文より
「古伝によればその昔、香取・鹿島の二柱の大神は天照大神の大命を受け、芦原の中つ国を平定し、香取ヶ浦付近に至った。しかし、この地方はなおただよえる国であり、地震が頻発し、人々はいたく恐れていた。
これは地中に大きな鯰魚が住みつき、荒れさわいでいると言われていた。大神たちは地中に深く石棒をさし込み、鯰魚の頭尾を押さえ地震を鎮めたと伝わっている。
当宮は凸形、鹿島神宮は凹形で地上に一部だけをあらわし、深さ幾十尺とされている。貞享元年(一六六四)三月、徳川光圀公が当宮に参拝の折、これを掘らせたが根元を見ることが出来なかったと伝わる。

門前町商店街も観光時期から外れていたせいか、静かだった。

HOME  NEXT  BACK  MAIL