国王神社

所在地 茨城県坂東市岩井951
祭 神 平 将門
ご利益 戦勝、縁談

平安時代の中頃、関東に一大勢力を拡げ、自らを「新皇」と称した平将門は現在でも関東では大変な人気があります。桓武天皇の苗裔で上総介として東国に下った高望王(たかもちおう)の孫にあたり、天慶3(940)年2月14日、藤原秀郷(俵藤太)と平貞盛(将門とはいとこ同士)の連合軍と激戦し、矢を額に受けて壮烈な生涯を閉じます。38歳だったといいます。

将門関係の言い伝えや遺跡は京都、滋賀、岐阜、福島、宮城、秋田などに数多くありますが、何といっても本場は関東一円です。しかも中心は茨城の坂東(ばんどう)市岩井でしょう。なにしろ将門の石井(いわい)営所があった地元ですから。その中でもこの国王神社がど真ん中です。今年(2009)念願叶って参拝できました。

将門は長い間国賊とされていたにもかかわらず、特に関東では人気を保ち続けてきました。地元では叔父にあたる国香(平貞盛の父)に領地を横領されたことから常陸国の国司を攻め、続いて下野・上野も占領し、それが結果的に庶民の窮乏を救うため、しいては藤原摂関政治の姿勢を正そうとしたのだと解釈されてきたようです。若くして夢敗れたこともあり、多分に判官贔屓も入っていたのだとは思いますが、朝廷に一矢報いたことは歴史的な事実ですから庶民にとっての「救世主」となりうる条件は十分に備えていたわけです。

「政治的手腕」としては農民たちと未開地の開拓や鉄製の農具開発に取り組んだり、馬牧を経営したという話が残っている一方、重職をすべて身内や側近で固めるなど将来的な展望に関してあまり策がなく、研究者の間での評価は今ひとつなようです。

秘蔵とされる木像は将門の三女如蔵尼が37歳の時、父の三十三回忌に刻んだと伝えられ、県の文化財にいい指定されている。怒った肩と見開いた目が印象的で、高さは76センチ。
如蔵尼はこの地に庵を結び、父の菩提をとむらったといい、これがこの神社の発端だそうです。

ちなみに、将門には滝夜叉姫という娘がいて尼に身をやつし、東北の相馬で仏の道を説きながら機が熟すのを待って兵をあげたという伝承もあります。

岩井将門まつりが始まったのは昭和47年から。総勢100名の武者行列がある。写真は平成20年度のパンフレット。ここの将門煎餅はウマイ。

境内は広くないがいくつかの石碑・板碑が建っている。左には「国王神社」の社名。右は青面金剛像(庚申)が彫られている。ほかにも「守大明神」「浅間大神」などが祀ってありました。

奉納された手描きの絵馬。将門は黒馬に乗っていたといいますが、上記、滝夜叉姫は落城の夜、白馬に乗って相馬ヶ原を月に向かって駈け上がったといいます。どちらかといいますと、この絵馬は姫の方をほうふつさせますね。左のイラストは伊藤晴雨の滝夜叉姫(『傳説と奇談』第11集 東北篇より)。

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