成田山 新勝寺

所在地 千葉県成田市成田
祭 神 不動明王、降三世明王、軍茶利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王(以上五大明王)
ご利益 国家鎮護、交通安全、家内安全、商売繁盛

通称「成田不動尊」で知られる新勝寺は、川崎大師(平間寺)、我が高尾山薬王院と並んで真言宗智山派の大本山となっています。上の写真は昭和59(1984)年に建立された平和大塔(いかにも宗教施設風)に祀られた巨大な不動明王像。

本尊の不動明王は、かつて京都の高雄山神護寺護摩堂に鎮座されていたもので、嵯峨天皇をお護りするため弘法大師が彫ったものといわれています。

平将門が東国で939年に天慶の乱を起こしたとき、嵯峨天皇は仁和寺の寛教僧正にこの不動明王と宝剣を授けて東国へ下り、朝敵降伏を祈るように命じたのです。僧正は公津原(新勝寺のある場所か)に護摩壇を築き、懸命に修していたところ、護摩の炎の中に将門が現れたそうですが、修法が終わるころ、将門の戦死が告げられたということです。

護摩の修法が終わり、不動明王像を京に持ち帰ろうとしましたが、この像がビクとも動きません。さらに不動明王が僧正の夢枕に立ち「この地に留まって人々の災難を救い、安寧を与えたい」とのお告げがあったといいます。そこで僧正は急遽戻って天皇にその旨を奏上したところ、天皇は国司に命じてこの地に堂を建て、戦勝にちなんで新勝寺と名付けたということです。

将門ファンにとってはあまり愉快な話ではありません。ですから新宿の鎧大明神(将門の鎧を祀る)や神田明神の氏子たちの中には今でも成田へ参拝しないという人が多いそうです。だからといって江戸っ子はやはりお不動さんのファンでもありますから、彼らは相模の大山不動尊へお詣りに行くそうです。

もちろん将門を討った藤原秀郷ファンも黙ってはいません。秀郷を祀る唐沢山神社のある栃木県佐野市の人々は神田明神には参拝しないそうです。

重文の仁王門と特大の草鞋。下の方に付属したように下げてある通常の草鞋に比べればその大きさがわかる。

大本堂は比較的新しく昭和43(1968)年の建立。

やはり重文の三重塔。正徳2(1701)年建立。彫刻も見事で、雲水紋の彫刻が施された各層の垂木は一枚板でつくられた非常に珍しいものだそうだ。

成田山の中では一番親しみやすく、俗っぽい雰囲気のある出世稲荷。大本堂に向かって左の小高い場所にある。ここから境内が一望できる。右写真の手前の堂は安政5(1858)年に建立された重文の釈迦堂。右手奥には平和大塔が見える。

わたしの一番のお気に入りはこの額堂だ。重文ではあるが、なんといっても開放的。庶民の願いを込めた額や大きな絵馬が掛けてある。明治時代頃からのものもあるが、ほとんど吹きさらしなので傷んでいるものが多い。右写真の額は理髪器具会社のもので巨大なバリカンと剃刀が目を引く。

成田名物といえばウナギと川魚。不覚にも店の名を忘れたが(大黒屋さんだったかも知れない)、妻も大満足の鰻丼であった。

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