白狐社

所在地 京都市伏見区深草藪之内町68
祭 神 命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)
ご利益

稲荷神(宇迦之魂神)への取り次ぎ、予知能力

本殿から少し上がった場所、千本鳥居の手前に祀られている。解説板によれば『往古の下社末社であった「阿古町(あこまち)」がその前身で白狐霊を祀る唯一の社殿である』とあります。「はぁ〜白狐霊ねェ」という程度はわかりますが、これでは研究者か土地の方でもないかぎり何が書かれているのか一般の観光客には理解できないでしょう。だいたい「命婦専女」にしたって文字から「きっと女だナ」と推測はできますがはっきりしたことはわかりません。でも仕方ないのです。じっさいに稲荷の狐に関しては諸説紛々で、はっきりしたことはわかっていないのです。

一説では朱雀大路・内裏の真北にある船岡山(112メートル)に棲む狐の老夫婦と五匹の子狐が稲荷山に出向き、稲荷神の前でお社(やしろ)の眷属(使者)になりたい旨を願い出たという。稲荷明神は大変喜んで申し出を聞き入れ、夫狐は上社(一ノ峯)、妻狐は下社(三ノ峯)に仕えるようになった。夫婦狐は「告狐(つげぎつね)」とよばれ、信者の前に直接あるいは夢の中などに間接的に姿を現して人々を導くようになったといいます。これは弘仁年間(810〜824)の話です。

その後の明応年間(1492〜1501)に書かれた『遷宮記』によりますと、稲荷社の下社には「阿古町」、中社には「黒烏(くろを)」、上社には「小薄(をすすき)」という狐を祀った末社があったといいます。そのうち下社の「阿古町」が元禄七年(1694)に現在地に移され、白狐社として現在に至っているのです。つまりここのお狐さまは船岡山の妻狐→阿古町→白狐という変遷を経ているわけですが、では命婦専女とは何か、ということになります。ついでながら他のお狐さんを祀った中社と上社の末社は現存していません。

命婦(みょうぶ)とは律令制下で女官の地位または官人の妻のことでしたが平安時代以降は宮中の中級の女房を指す総称になり、やがて稲荷社の巫女をよぶようになり、そこから中世には稲荷の狐を意味するようになります。専女(とうめ)とは『土佐日記』では老女のこととされていますが同時に老狐の異称でもあります。つまり命婦専女とは年老いた雌狐といった意味になります。ただ、これが白狐とされるには、真言密教の影響が大なのです。

じつはお稲荷さんと空海は大の仲良しで、空海が東寺を建立するとき、稲束を背負った老翁姿の稲荷神が現れて協力(仏教の守護神として)を申し出たのです。じつは東寺はもともと稲荷神の土地に建てられたのです。ですから空海は稲荷社を鎮守として持ち上げたわけです。この時代は日本古来の神々が次々と仏教に組み入れられていたため(神仏習合)、そのような話ができたわけです。

ところが複雑なことに、仏教に於ける稲荷神は老翁姿ではなく、荼枳尼天(だきにてん)という白狐に乗った女神でした。それでこの仏教の白狐と国産の命婦専女が合体することになります。話が複雑になって申し訳ありませんが、そこから稲荷神の姿は「狐を従えたり、狐にまたがる老翁タイプ」と「狐に乗る女神タイプ」がおられるのです。さらに武士が台頭してくると、もっと強そうな「狐に乗った天狗」や「狐に乗った不動明王」なども登場します。(稲荷系のおふだ参照

白狐社の前の狛狐。「巻物」を銜えているが、他に「鍵」「玉(宝珠)」「稲穂」を銜えているタイプもある。信者の方が寄進したと思われる「よだれかけ」は本来、子供姿の地蔵菩薩に掛ける物だ。これがないほうが本来の狐の美しさが出ると思うのだが…
白狐社の近くの社の白狐。それぞれ鍵と玉を銜えており、これが花火商の屋号となった。つまり主人が稲荷の信者だったというわけだ。

奥社は奉拝所となっているが、阿小町を祀った命婦社などもあり、命婦土鈴や命婦絵馬などが並んでいてグッとお狐色が濃い。白狐の絵馬も若者たちの解釈によれば、吊り上がった狐の目は凛々しい眉になってしまい、写真のように様々な表情に変身する。さすがに平安の昔から貴賤の別なく信仰された山だ。

三ツ辻と産場稲荷の間にも白狐を祀ったお塚「白狐社」がある。少し下ると豊川稲荷もあり、荼枳尼天も祀られている。特にこの周辺は神道、仏教、道教、新興宗教が混在する地域。ちなみに白狐社のすぐ下にある「毎日社」は毎日新聞社の毎日大神を祀るお塚だ。じつに寛容なお山といえる。

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