六道珍皇寺

所在地 京都市東山区大和大路通四条下ル小松町595
祭 神 薬師如来、閻魔大王、小野篁(たかむら)
ご利益

精霊迎え、水子供養、除病延寿

取材目的の一つは六道珍皇寺の井戸を拝観することでした。それはこの世とあの世の分かれ道、六道の辻とよばれる地にあるのです。平安時代ここから先は「野辺送り」の地つまり葬送の場だったのです。当時は死体をそのまま捨てていましたから、まさにこの辻から向こうは「あの世」だったのです。

そしてここにある井戸から夜毎「あの世」へ通い、閻魔大王に次ぐ冥官を務めていたという人物が小野篁(たかむら 802〜852)です。ですから一度死んだ者がの口利きで生き返り、篁に平伏したという話もいくつか残っています。さすがの閻魔大王も「おまえに言われては仕方あるまい」といったところでしょうか。

は嵯峨天皇に仕えた平安初期の官僚で参議まで務め、学者・歌人としても秀でた実在の人物でした。「子子子子子子子子子子子子」を何と読むかと意地の悪い質問をされたとき、瞬時にして「猫の子の子猫、獅子の子の子獅子」と即答してみせ周囲を驚愕させたということです。小野妹子の血筋で遣唐副使にまで任じられましたが豪快・奔放な性格で時の権力に屈せず、隠岐に流されたこともあります。一説では小野小町の祖父とも父ともいわれています。

わざわざ私が京都まで篁の足跡を訪ねたのにはワケがあります。高尾山のある八王子は武蔵七党とよばれる武士集団のひとつ「横山党」の拠点があったのですが、彼らの祖が小野篁というのです。彼らはそれを大変誇りにしていました。したがってという人物をもっと知りたいと思っているのです。ここで詳しくはご紹介しませんが「横山党」について詳しくは小論『初沢城と椚田郷の歴史』をご覧ください。

前庭の中心あたりに建つ「三界萬霊供養塔」。 その奥が盂蘭盆に「お精霊(しょらい)さん迎え」のために撞かれる迎え鐘の鐘楼。その右奥は閻魔大王と小野篁の像が置かれる閻魔・堂がある。

本堂。このご朱印のごとく、当寺のご本尊は薬師如来(平安時代の重文)であるの…とはいえ、気になる「冥土通いの井戸」は本堂右手奥の裏庭にある。

右が「冥土通いの井戸」。左の小祠は篁の念持仏を祀った「竹林大明神」。

本堂の両脇に下がった提灯には「閻魔王宮の臣」「あの世への入口」の文字が見える。手前写真が小野篁公の立像(解説カタログより)。穏やかな姿で、とても「野狂(やきょう)」といわれ奇行を重ねた人物には見えない。しかし彼の逸話は多くの文献に残されているほど話題性があったのだ。

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