奥之院不動堂・浅間社・護摩壇

所在地 高尾山1号路
祭 神

不動明王、矜羯羅(こんがら)童子、制多迦(せいたか)童子、
行基菩薩、俊源大徳、木花之開耶(このはなさくや)姫、飯縄大権現

ご利益 諸願成就

上の写真は富士浅間社(浅間神社)。
現在は薬王院境内の一番高い場所にありますが、ここに落ち着くまでに何度か場所を変えて移築されています。
本来ですと下でご紹介する「不動堂」をメインにしなければならないのですが、高尾山にとって「浅間神社」は特別の存在なのです。
なぜなら富士山を詣でる昔の人々は、まず大山に詣でてから旅をするため、高尾山を通っていたからです。
まず高尾山から富士山や大山を遙拝してから出かけるのですが、高尾山には今でも大山道の一部が残っているほどなのです。高尾山の存在意義はその富士信仰のおかげが大きく影響しています。その富士山の神様が木花之開耶姫というわけです。

この浅間神社は戦国時代に関東一円に勢力を拡げた後北条氏で、八王子周辺は北条氏康の三男、氏照が支配していたことは有名です。
戦国時代に北条氏は甲州の武田氏と争っていたこともあり、庶民が甲州を通って富士山詣りができなくなったため、北条氏が人心掌握のため天文年間(1532〜55年)に浅間神社を建立したといわれています。
戦国時代にはここから富士山を遙拝して我慢したのでしょう。しかし昔から日本人は観光(信仰の旅)が好きだったのですね。

富士浅間社は小さな堂宇ですが、破風(はふ=屋根の下部分の装飾)の彫刻などを見ればわかりますように非常に優れた技術によって建てられています。

この浅間神社にお尻を向けたかたちで鎮座しているのが「奥院不動堂」です。
ここには不動明王とその脇侍(わきじ=本尊を守るため両脇に控えている仏)である矜羯羅童子(こんがらどうじ)、制多迦童子(せいたかどうじ)、そして薬王院を開山したといわれる行基菩薩、薬王院を中興(後の時代に寺を立派に再興した)俊源大徳が祀られています。高尾の大スター揃い踏みというわけです。

また、浅間神社の横、不動堂の斜め後ろには、かつて使われていた紫燈(さいとう)護摩壇=屋外で護摩を焚くための施設があります。ちょっと奥まっているので一般のハイカーの目に入ることはないのではないかと思いますが、なかなか味わい深い場所です。ちなみに現在の紫燈護摩壇は有喜苑(仏舎利塔前)にあります。

奥之院不動堂は昭和28(1953)年に都の有形文化財に指定されています。江戸初期の建立で、かつては護摩堂として薬王院の中心的の堂宇の一つでしたが、明治34(1910)年に移築改修されました。一方の富士浅間社は大正末期の再建といわれています。


供養の日には仏具と焼香が供えられ、榊(さかき)が捧げてありました。いかにも神仏習合の風景です。
破風の彫刻は二羽の鷹でしょうか。

さすがにここまで登ってきますと山頂まで一息。年輩のご婦人が堂の前に座り込んでおりました。昔の屋根は茅葺きだったそうですが、今は銅葺きです。ベンガラの赤がシブイですね。

建築に関する専門的なことはよくわかりませんが、この堂はかなり珍しく、屋根の部分や梁など、内部に到るまでなかなか凝った造りなのだそうです。

これは高尾山の山内で一番古い石仏です。護摩壇の奥にひっそりと佇んでいる飯縄大権現の像で、狐には乗っていませんが翼ははっきりわかります。
顔が無いのは、信者の方が少しずつ削って持って帰ってしまったということです。かつては飛び飯縄堂に祀られていたそうで、イボ取りのご利益があったと信じられていたからです。

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