四天王門

所在地 高尾山1号路
祭 神 持国天、広目天、増長天、多聞(毘沙門)天
ご利益 全方守護

高尾山薬王院の入口に立つ楼門で昭和59(1984)年に江戸期に建立されたままの形で再建されました。重層入母屋造り形式で、なかなか風格があります。5億円かかっています。

右手前には数年前に、当山の中興の祖といわれる俊源大徳の石像が安置されています。
向かって左側には、蛸胴突きを立てた石組みの台があります。この台には、かつて五重塔とよばれていた唐銅製の宝篋印塔が立っていたのではないか思われるのですが、古い絵などを見ますと場所がちょっと違いますから別物かも知れません。

いずれにせよ、かつてこの近くにあった唐銅製の宝篋印塔は北条氏康が寄進し、江戸時代には足袋屋清八が修理再建しましたが、太平洋戦時中に供出(武器などを造るため、国内中から金属類を提出させられた)させられたそうです。
ですから現在、五重塔はありません。

四天王は、本来は須弥山の中腹にあるといわれる欲界第六天の四方を守護する神で、皆中国の武将の格好をしています。日本では仏教の守護神とされ、中でも北方を守る「多聞天」は単神で祀られる場合、「毘沙門天」ともよばれ七福神のメンバーとしても人気があります。

楼閣になっていますので二階には弘法大師の像とか役行者の像があるなどと噂されていますが、実際のところは不明です。 四天王や天狗達に守られていますので、まさか羅生門のように鬼は棲みつけないでしょう。

薬王院の伝承によりますと天平16(744)年に行基菩薩が当山を開山したといわれています。その630年ほど後の永和(天寿)年間に、この俊源大徳が京都の醍醐寺から入山して現在のご本尊である飯縄大権現を奉じ、薬王院を中興(元にも増して栄えさせた)したといわれています。
ごらんのように山伏(修験者)の姿をしています。

門の内側に立つ北方・多聞天(左)と東方・持国天。夕方からライトアップされます。

門の外側に立つ南方・増長天(左)と西方・広目天。

気付く人は少ないようですが、門の通路奥では巨大な天狗の面が通行者をチェックしています

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