鐘楼周辺

所在地 大本堂横(高尾山1号路)
祭 神 行基菩薩
ご利益 山内安全、万民豊楽

薬王院の最初の鐘楼がいつ建立されたのかわかりませんが、昭和41(1966)年9月の台風で倒壊し、その時と同じ形式で昭和49(1974)年に再建されたそうです。
安政2(1855)年の古地図にもほぼ同じ位置に描かれていますし、鐘楼脇に保存されている梵鐘は寛永古鐘とよばれ、寛永8(1631)年の鋳造とされていますから、かなり古くから建っていたことは確かです。

この鐘楼の場所から大本堂を見ますと神社と見違えるほど立派な注連縄が目に入ります。
で、思わず「神社みたいだね」と大きな声を出しましたら、それを聞きつけた寺の方に「ここは寺院です。なぜなら僧はおりますが神官はおりません」と言われてしまった。
知ったかぶりというか、これ見よがしな軽口は要注意です。
恐らく同じような疑問を口にする参拝者には「神仏習合」などという小難しい説明をするのも大変なのでこのように答えているのでしょう。

寛永古鐘の横には最近建立された行基菩薩(668〜749)の像があります。薬師如来を本尊とした薬王院の開祖といわれていますが、行基さんが関西以北を実際に尋ねたことは史実的にもなかったようで、実際はそのお弟子さんが全国を廻って各地の山を開山したのでしょう。
縁起によると薬王院の開山は奈良時代、天平16(744)年と伝えられています。

ここのスペースには一本の「菩提樹」があります。
その下でお釈迦様が悟りを開かれたという「菩提樹」とは異種らしいのですが、シナノキ科シナノキ属の落葉高木で、一見、葉の裏の葉脈の中程からぶら下がっている丸い実がちょっと変わっています。
じつはこの葉っぱに見えるものは花序の柄に付いていた苞(ほう)なのです。ですから実をぶら下げているのは葉ではないのです。

龍の彫り物が立派な額に入った奉納札は、昭和29年、寿司屋組合からの奉納のようだ。
よく見ると結構凝った作りです。

寛永古鐘の竜頭(りゅうず)。
竜頭とは時計のネジを巻いたりするツマミのこともいいますが、本来は鐘楼の梁(はり)に吊すための釣り鐘の頭部に付いている龍の頭の形をした部分、つまりこの写真のことなのです。
この形というか形式で鐘の作られた時代がわかるそうです。

高尾山開山の祖、行基菩薩
手に持っているのは蓮の蕾(正確にいうと蕾の付いた花茎)です。
天平16(744)年、聖武天皇の命(勅願)で高尾山に薬師如来を奉じ、東国鎮護祈願のため、薬王院を創建されたことになっています。
JR国分寺にあった国分寺(全国にありました)も同じ目的で、やはり行基さんの発願で薬師如来を奉じたといわれていますが、薬師如来とはもともと病気平癒の功徳を持たれる仏さまですから、こちらは当時の国立病院の意味合いを持ったお寺だったともいえます。
この行基菩薩も比較的新しいものです。

菩提樹(シナノキ)。
葉っぱの真ん中からぶら下がっているような、菩提樹の不思議な形をした実
葉に見えるのはヘラのような形をした苞(ほう)なのですが、6月頃の花の時期に見れば納得です。花は良い香りがするそうですが、高い枝で咲いているのでよくわかりません。

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