秋葉路の子安地蔵

所在地 浜松市天竜区春野町
祭 神 子安地蔵尊
ご利益 子授け、安産、子育て

秋葉寺を出て山をしばらく下ると雨の中にお地蔵さんが見えてきた。屋根だけがかろうじて付いているので、とても「お堂」とは言い難い。しかし、石垣が残っているところを見ますと、かつては立派なお堂だったのかも知れません。近づくと多数の柄杓が…しかもどれにも、わざわざ穴を空けてあります。

これは子安地蔵で、ほとんど読みとれない解説板には「三尺坊の誓願の一」みたいなことが書いてありました。まぁ確かに三尺坊の母上は観世音菩薩に祈って三尺坊懐妊したとはいえ、子安信仰は平安時代からあったことがわかっていますから(縁起はともかく、実際に三尺坊が秋葉山に奉祀されたのは南北朝時代と考えられている)、いくらなんでも過剰宣伝と言わざるを得ません。

子安という名のつく神仏には子安地蔵のほかに子安観音、子安荒神、子安稲荷などがあるようですが、ご利益は同じです。子安という言葉は、おそらく子安貝(宝貝)からきたもので、かつては貨幣として使われていましたが、ご覧になったことのある方ならおわかりのように、女性器によく似ています。つまり豊饒・生産・出産のシンボルでもあったわけです。

子安信仰は関東地方に多いと思っていましたので、秋葉山中でお目にかかれるとは思いませんでした。関東には既婚の女性達によって組まれる子安講とか地蔵講(19日に行われることが多いので十九夜講ともいいます。23夜待ちという二十三夜の月の出を待つおこもり講もありました)があって、女性が安産や子育てを祈ったそうです。まず子安地蔵にお詣りしてから当番の人の家に集まり、お菓子を食べたりお喋りをしながら一夜を共に過ごすのです。

つまり子安講は女性達にとっての「子育て」「出産」に関する知識の交換の場であり、不安解消、励まし合い、息抜きの場であったのでしょう。

子安地蔵菩といっても二体とも、特別変わった姿をしているわけではない。民俗学的には宗教より民間信仰、特に流行神に近いもので、おそらく子を欲しいと願う女性がこのお地蔵さまに祈ったところ懐妊した…などの話が広まったものと思われます。

 

全国的に子安神には、穴の空いた柄杓を奉納するという習慣があります。理由ははっきりしませんが、柄杓にはその形状から「魂が宿る」力があると考えられていたらしく、それに穴を空けることによって自らの体内に魂を取り込む、といった呪法的な信仰があったのではないでしょうか。
柄杓を奉納した女性の気持ちが痛いほど伝わってきますが「日本もまんざらではないなぁ」という安堵感も感じます。
柄に「元気でやさしい子になってください」と書かれた柄杓もありました。

私の勝手なロマンチシズムですが、江戸時代の人々もこの山路を通ったのかな、と思うと何やら感慨深いものがありました。ここには「秋葉街道を歩く会」という団体があるらしく、私も地元だったら入会していたかも知れません。

左は十一丁目を示す「丁目石」。上に行くほど数が少なくなります。麓近くで三十丁目を確認しています。
右は十八丁目茶屋跡に立つ石仏と常夜灯。この常夜灯は参道のあちこちで見られました。解説板によりますと多くは嘉永5(1850)年2月の開帳時に奉納されたものらしく江戸末期の資産家金原久右衛門(金原明善の父)が建てたということです。

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