村山浅間神社

所在地 静岡県富士宮市村山
祭 神 木花之佐久夜姫命(木花開耶媛命)、大日如来、富士上人末代
ご利益 無病息災、五穀豊穣

上の写真は、やはりここに祀られている富士上人末代(大棟梁権現=村山修験の開祖)の氏神社へ登る階段から撮ったもので、拝殿側から見た村山浅間神社です。ここの神社には常駐の神主さんはおらず、祭日以外は地元の氏子衆が管理していますが、静寂で非常に良く整備されており、私の好きな神社の一つです。

祭神の「このはなさくやひめ」が一般的に富士山の神様とされています。この女神は桜の化身といわれるほどの美しい女神で、じつは神話で名高い海幸彦と山幸彦のお母さんでもあります。話が逸れますが、山幸彦はのちに竜宮で龍神の娘と結ばれ、その孫が初代の天皇(神武天皇)になるのです。

浅間神社は関東、特に富士山の見える場所に千三百以上あるといわれますが、大きな浅間神社は富士山の麓に数社あります。村山浅間神社は富士宮の浅間大社ほど大きくも有名でもありませんが、仏教とも関わりの深かった山岳信仰の拠点として鎌倉時代から栄えていました。
ですから今でも大日如来を祀っていたお堂(大日堂)や修験道独特の屋外にある護摩壇(下写真)が残っています。

ただ、明治時代の神仏分離令(神道と仏教をはっきり区別して神様と仏様を一緒に奉ってはいけないとされた)や修験道禁止(もちろん現在は自由です)、登山道のコース変更などの影響を受け、往年の賑わいはなくなってしまいました。

ここには富士山南麓の標高500メートルあたりにあり、樹高47m、樹齢千年といわれる大杉のご神木がありますが、樹齢三百年以上といわれるイチョウの大木も見事です。今はフェンスで近づけませんが下に垂れた気根を乳房に見立てて、母乳の出を願う習慣もあったそうです。

明治時代、仏神である大日如来を神社が祀ってはいけないという、おせっかいなおふれが出された。それからしばらくの期間、閉ざされた大日堂に近づくと「閻魔さんに連れていかれる」といわれていた。
ここに寄ってから富士宮市内の浅間神社を訪れると、なんだか立派すぎて逆に興醒めしてしまいました(スイマセン)。

かつてここには富士山の守護神、富士太郎坊またの名を高鉢権現という大天狗の軸画が秘蔵されていて、その姿を見ると、あまりの恐ろしさに気が狂うといわれていました。私がこの地を訪ねたのも、じつは富士太郎坊の姿を拝みたい一心からでしたが、今は村山浅間神社にはなく、富士宮市の教育委員会が預かっているということでした。
街まで降り、さんざん捜してこの画に巡り会った時には感動しました。私の著書「スキャンダラスな神々」の口絵に大きく使わせてもらっています。

左は古いおふだのコピーで、木花之佐久夜姫命の姿です。「富士山」の文字のデザインが凝ってます。猿が拝んでいるところも面白い。

手前は 富士禅定図のレプリカ。氏子の方に分けていただきました。今でいうイラストマップです。

護摩壇とは火を焚きながら神仏に祈りを捧げる場所のことです。ここには焦げ痕の残る組木と不動明王の素朴な石像がありました。コップに次がれたお酒と一円玉が庶民的な暖かさ感じます。他の石仏には野の花が添えてありました。

かつては富士信仰の人々が列をなして登拝していたという村山登山道の入口。石畳が当時を偲ばせます。

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