大雄山最乗寺

所在地 神奈川県南足柄市大雄町
祭 神 釈迦牟尼仏、文殊菩薩、普賢菩薩、道了尊、十一面観世音菩薩、三面大黒天、不動明王、弁才天ほか
ご利益 諸願成就

上の写真は「結界門」の両脇に立つ大天狗(鼻高天狗:右)と小天狗(烏天狗:左)。非常にカッコ良い。巻物を持つ鼻高天狗は修験者風ですが、烏天狗の方は怒髪(怒りで髪を逆立てている)で中華風の甲冑を身に纏い、まるでカルラ天のようです。

最乗寺は曹洞宗の寺で600年の歴史を持つ関東の霊場です。境内の山林は130町歩、堂塔は30余棟といいます。何といっても小田原から大雄山線という、ほとんど寺のプライベートといっても過言でないほどの鉄道が引かれているくらいですから、その規模は想像がつくことと思います。

開山は了庵慧明禅師(りょうあんえみょうぜんじ)というお坊さまで、全国各地の寺院で修行・住持・輪住し、50半ばにして相模の庄に帰り庵を結びました。ある日一羽の大鷲が禅師の袈裟を掴んで足柄の山中に飛び、大松の枝に掛けたのです。そこで、禅師はその山中にこの寺を建立します。それは應永元(1394)年3月10日のことだそうです。

ご本尊は釈迦尼仏なのですが、ここのスターはその了庵慧明禅師でもなく「道了尊(道了大薩捶)」という天狗さまです。道了尊の出自は聖護院問跡につかえ、金峰山、大峰山、熊野三山に修行し幾多の霊験を現したと伝えられる修験道の行者で、相模坊道了尊者という実在の人物です。

当時の道了尊は三井寺の勧学の座(最高の学位)にありましたが、同郷の了庵慧明禅師の最乗寺開創を聞き及ぶと「…人容忽然として天狗に変じ、西山窓を開き、飛び立ち、金堂前の大杉の頂に移り、東面に向かい飛び去る」という具合で馳せ参じたということです

道了尊は了庵慧明禅師の元で土木業に従事、500人分の力量を発揮したといいます。この伝説は取りも直さず多くの修験者が寺の建立のために奔走しということたと考えられます。

やがて了庵慧明禅師が75歳で亡くなると道了尊は「以後山中にあって大雄山を護り、多くの人々を利済する」と五大誓願文を唱えて姿を変え「火焔を背負い右手に柱杖、左手に羂索(綱)を持ち、白狐の背に立って、天地鳴動して山中に身を隠した」と伝えられています。スゴイですね。
以後、道了尊は十一面観音の化身とされ(いきさつは分かりませんが)、庶民から愛されているというわけです。

絶大な人気を誇る道了尊。左は山中に身を隠した時の姿でしょうか。右は金剛水堂に祀られている僧形の天狗。やはり道了尊ではないかと推察。

 

これは本堂ではなく、道了尊をはじめ、脇侍の大天狗(鼻高天狗)、小天狗(烏天狗)が祀られている「御真殿」。残念ながら堂内は撮影禁止。

仁王門、三門(山門とはよばない)、瑠璃門をくぐった正面にある書院。静かな佇まいです。
右は多宝如来が安置された多宝塔。ほかにも広い境内には開山堂、不動堂、奥の院など、多くの堂宇がある。

奥の院に登る階段はかなりキツイ。その階段中程の両脇には参拝者を叱咤激励するように大天狗、小天狗が立っている。こちらは両方とも修験者風。山中で出会う天狗は結構リアルです。
左は「夫婦和合」「縁結び」「安産」「健脚」「交通安全」「受験」などに功徳があるという「和合の大下駄」
右は三面大黒堂の前に数百年前から鎮座する「有難い狛犬」。仔犬を腹に入れている(乳を飲ませている)像は珍しいそうで、悪霊退散のご利益 があるといいます。

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