築土(つくど)神社

所在地 東京都千代田区九段北1-14-21
祭 神 天津彦火邇々杵尊(アマツヒコホノニニギノミコト)、平将門公、菅原道真公
ご利益 必勝祈願、勝運向上、商売繁盛、家内安全、病気平癒、体力増強

主祭神は天津彦火邇々杵尊となっていますが、本来は平将門公が祀られた神社といってよいでしょう。
これは明治時代の天皇への忠義を重んじる歴史観の影響で、将門公を「逆賊」のように評する風潮があったためです。
社の由緒書によれば、当社は940(天慶3年)年、藤原秀郷らの手で討たれ、京都に曝された平将門公の首を首桶に納め密かに持ち去り、これを武蔵国豊島郡上平河村津久戸(現・千代田区大手町周辺)の観音堂に祀って津久戸明神と称したのが始まりだそうで、江戸城築城後の1478(文明10)年に、太田道灌が江戸城の乾(いぬい=北西)の方向に当社社殿を造営して太田家の守護神、さらに江戸城の鎮守神として厚く崇敬したのが始まりといわれています。

その後社名も津久戸大明神から江戸明神、田安明神などと変わり、場所も江戸城の拡張や火災など諸事情のため五回ほど移転。現在に至っていますが1994(平成6)年、写真でご覧のように立派なビルの一部に再建されています。

将門公の首を収めていた首桶の写真が残っていましたが火災のために現在はありません。
話としては首が京より飛んできて落ちたと伝えられる将門公首塚の場合より現実味があります。
ちなみに、ここから首塚までは、徒歩で2〜30分ほどです。まあ、空を飛べばあっという間ですね。

同じく大怨霊として祟りを為した菅原道真公を祀っているのは、もともと境内に天満宮の末社を合祀したのだそうですが鎮魂にはさぞ気を遣われることでしょう。
しかし、将門公が乱を起こしたときは先輩怨霊の道真公も味方をされたということですからこの二柱はもともと全くの無関係ではなく、むしろ怨友といっても良いかも知れません。

九段アイレックスビルと鳥居。当社HPによりますと「アイレックス」とは「モチの木」の意で、かつて築土神社が九段坂〜モチの木坂に至る「田安の地」に鎮座していたことにちなんでこの名が付けられたそうです。参道入口に見える木は「モチの木」で、当社のシンボルとしてが植えられています。鉄製の鳥居は「明神鳥居(みょうじんとりい)」という型です。ここは靖国神社にも近い場所にあります。

モダンなビルの一部となっている参道の先に社殿があります。中には立派な狛犬や力石、天水桶(てんすいおけ)などがあり、境内には世継(よつぎ)稲荷神社が合祀されています。

神社の脇を抜けると近代的なテラス風の公園に出ます。ここから見る本殿は超近代的空間の中に浮かぶ異次元の景観です。不思議な雰囲気でなかなか見応えがあります。

天水桶に彫刻されている黒駒。これは将門公の「繋馬(つなぎうま)」で、伝説によると将門公が挙兵した時、突然空に一筋の稲妻が走り落下して黒馬に変わると、将門はこれに乗り戦場を縦横無尽に駆け巡ったといわれています。
当社の神紋にもなっています。絵馬も同じデザイン。
天水桶には「文政元(1818)年戊寅十一月吉日 奉納元飯田町」の銘があります。

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