戸隠 宝光社

所在地 長野県上水内郡戸隠村
祭 神 天表春命(あめのうわはるのみこと)
ご利益 開拓、学問、技芸、裁縫、安産、婦女子・子供を守る

戸隠神社は五つの社(やしろ)からなっています。長野善光寺からバードラインを北上して七曲の急坂を登り、荒安を経て飯綱山を右に、大座法師池を左に見ながら戸隠村に出ると県道36号線と合流、最初に突き当たるのがこの宝光社(ほうこうしゃ)です。
鳥居の
下から見上げると、鬱蒼とした木々の中を真っ直ぐに登る石段が非常に美しい(写真上)。登るには多少の覚悟が必要ですが、途中から迂回路もあります。また、神社の裏からは遊歩道があり、中社〜奥社へと続いています。

祭神の天表春命は、中社の祭神・天八意思兼命の御子(弟説もある)で、共に天の岩戸(天石屋戸)開きの伝説に係わる神です。また、天孫降臨の際、護衛役として降臨されたといいます。

宝光社の裏手には伏拝(ふしおがみ)と呼ばれる碑があります。室町時代の古書によると天暦年中(950年頃)に奥社に祀られた天表春命が、康平5(1058)年にこの地まで飛来し、「奥社は女人禁制のうえ冬は登拝が困難だが、ここなら四季を通して老若男女がお詣りできるので社を建て、我を安置せよ」と申されたので里の人々はここに宝光社を建立したといいます。

女人禁制という差別の中で、可能な限りの天表春命の親切心…といったところでしょうか。かつては伏拝から戸隠山の直下にある奥社がよく見えたらしいのですが、残念ながら今では木々が鬱そうとして奥社は遙拝できません。最近は熊の被害が多いので、遊歩道などを一人で歩く場合は特に注意が必要です。

現在の社殿は文久元(1861)年の造立で五社の中では最古になっています。

かつてここは宝光院(福岡院)という寺院でした。戦国時代には上杉氏と武田氏の争いに巻き込まれて一時期この地を逃れたり、江戸時代には真言系修験の本拠地となって、中社の天台系修験と争っていた時代もありました。また、明治時代の神仏分離令により神社となるなど、長い苦悩の歴史を乗り越えてきました。

ちょっと裏に足を踏み入れると一面の蕎麦畑。近くで見ると白く小さな花が可憐です。

宝光社の近くには野仏も多い。左から灯籠(中にはミニ大黒天)、双体道祖神の祝言像、馬頭観音像?、陽石(性神)、丸石道祖神。
地蔵堂や愛染明王なども近くにあり、探索するといろいろな発見があります。

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