飯縄神社里宮(皇足穂命神社)

所在地 長野県長野市大字冨田(荒安)
祭 神 皇足穂命(すめたるほのみこと)、飯縄大明神(いづなだいみょうじん)
ご利益 五穀豊穣、家内安全、防火除難

皇足穂命とはあまり聞き慣れない神名ですが、これは飯綱山の山頂近辺から、食べられる砂、飯砂(いいずな=ゼラチン状の粒が集まった、菌類と藻類の複合体で「テングノムギメシ」ともいう)を産することから、これを保食神・皇足穂命の霊徳としたらしいのです。しかしこの郷社名が長野県庁から与えられたのは明治6(1873)年のことで、明治政府の神仏分離令、神社合祀運動におもねったことは明らかです。存続のためにはそうしなければならない理由があったのでしょうか。

ただ、皇足穂命という神名は菅江真澄遊覧記にも登場していますから江戸時代には地域によっては知られた名だったのでしょう。

ここは戦国時代、千日太夫親子によって確立された飯縄信仰の本拠でもありました。千日太夫親子はそれぞれ飯綱山に千日間籠もり、飯縄法という忍法(妖術)を編み出しました。この妖術はクダ狐という霊獣を使役して行うのですが、江戸時代には「狐憑き」と同じような俗信に成り下がります。詳しくは拙書「スキャンダラスな神々」をご覧ください。

戦国時代には武田信玄や上杉謙信などの戦国武将や公家から信仰されました。江戸時代には千日太夫親子に代わり、養子の仁科家が神官を引き継ぎますが、三代将軍・徳川家光から朱印地を寄進されるなど、飯縄信仰は全国的な展開を見せて全盛を誇りました。この頃から東京都高尾山の飯縄信仰も盛んになったようです。しかし明治に入ると仁科家は没落、皇足穂命として現在に至るまで地元の氏子衆が守ってきました。そしてつい最近、戸隠神社の神官でもある越志(おし)氏が宮司を務めるようになりました。

高尾山薬王院のご本尊「飯縄大権現」はここの飯縄大明神と同じ神様というわけです。もちろん私は高尾山のボランティア活動を通じて歴史を学習し、こちらを知ったのですが、遅ればせながらようやく最近になって当神社と薬王院の交流も始まったようです。

写真は拝殿で、この背後に小さな本殿があります。
長い間、芋井地区の氏子さんが守ってきた、いかにも山里の楚々とした神社で、手入れも良く行き届いています。この左手に美しい樹容をした「皇足穂命神社の大杉」があります。
こちらが本殿。かつてはここから飯綱山が遙拝できたのでしょうか。
戦国時代、ここは千日太夫の冬季の住居でもあったそうですが、発掘しても何も出てこなかったそうです。

芋井の集落から望む長野市。斜面にはリンゴ畑が広がります。

集落の近くには寺院跡の空き地があり、おびただしい数の野仏が半分土に埋もれていました。

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