絵馬-神仏像

おふだのところでも書きましたが、日本神話に登場する神々の姿は仏像に対して相対的に作られたものです。
本来の日本の神々は姿が見えません。山そのもの、岩、樹木などに宿っていると考えられていました。
もっとオーバーにいえば、大自然の「気」の中に鎮まっており、祀り方がおろそかになると怒り、災害として荒れるのです。
神社の壮大な社(やしろ)にしても、寺院に対して創建された場合が多いようです。
事実、現在は大きな神社であっても、明治以前までは寺院だったという例も多く見られます。
じつは、明治に神仏分離令が出されるまで神道も仏教も「かみさまほとけさま」として一緒に祀られていたのです。

古代の出雲大社などの例外はありますが、古代の神社はほとんどが自然物か小さな祠(ほこら)だったようです。
それらの多くはその地域で祀られていた地主神(土着の神様)でしたが、
やがてその地域を支配した権力者が一族の氏神を勧請(神に来ていただく)して祀ることもありました。
この神々が、やがて鎮守さまになっていくのですが、明治以降その祀り方が大きく変わります。
つまり地主神や氏神に取って代わり、皇室の祖神とされた天照大神(あまてらすおおみかみ)の系統、
つまり高天の原(たかまのはら)の神々が祭神とされました。今でもその影響は強く残っています。

ところで絵馬は本来、神の乗り物である馬を奉納したものらしいのですが、
後に土馬や木馬、馬を描いた額を奉納するようになりました。
今では神社や寺院で譲り受け(「買う・売る」とはいいません)、それに祈願を込めて奉納するスタイルになりました。
いつから木に画を書いたスタイルになったかといいますと平安末期〜鎌倉・室町の頃で、
それも圧倒的に神社においての例が多かったのですが、絵馬に関してはどうやら寺院サイドがこの慣習を真似たらしいのです。

そういえば勝軍地蔵、三蔵法師や聖徳太子などは別として、あまり馬に乗っている仏さまは見たことがありませんね。


筑波山神社の絵馬
ご存知のように茨城県の筑波山山頂は男体山と女体山の二峰があり、男体山には伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、
女体山には伊弉冊尊(いざなみのみこと)が祀られています。この絵馬はそれぞれの山頂でのみ入手できます。
まあ、登頂記念絵馬といったところで、デザインもなかなかポップです。

神奈川県横浜市の伊勢山皇大神宮の絵馬。明治初年に国費で創建されましたから、国家神道バリバリの神社です。
ですから当然ながら祭神は皇室の祖神・天照大御神(あまてらすおおみかみ)で伊邪那岐神(いざなぎのかみ)の左の目から生まれた女神です。
この女神が弟神の狼藉で岩戸に隠れたとき、それをこじ開けたのが、この絵に描かれている天手力男神(あめのたじからおのかみ)です。おふだの「神、権現」でも紹介した神様ですが、天照大御神の本体を描いていないのは「畏れ多い」からなのでしょうか。それとも、白い光で充分だろうということなのでしょうか。

筑波山神社の焼印が入っていますが、なかなかめでたくて良いデザインのせいか、他の神社でも見かけます(もちろん違う印が押してあります)。色数も多く、我が家ではお飾りにも使用しています。

これは無人(無神)の宝船。
本来は図柄のカテゴリーに入れるべきですが七福神の宝船と比較するためここでご紹介します。
おふだの「天部系」でも解説しましたが、宝船のデザインとしてはこちらの方が古いものです。
新宿区四ッ谷の須賀神社で絵馬を求めたところ、これを出されました。
神社名も入っておらず、「業者の見本」ムキ出しです。ちょっとムッとしましたが、絵柄が何かに使えそうだったので(たとえばこのH/Pです)購入しました。普段、おふだや絵馬は「買う」とはいわず「分けていただく」というのですが、この場合は「購入」で充分でしょう。
絵馬やおふだ、おみくじなどは、現在はほとんど専門業者が納品しており、オリジナルが少ないのが悲しい…。愚痴ついでに書きますが、私がお手伝いした某神社では、業者から納品されたおふだ類を、お祓いすらしないまま売っておりました。

これも筑波山神社の絵馬。
伊弉諾尊、伊弉冊尊が交合した結果、最初に産んだ神がこの恵比須さまですが、本来は蛭子(ひるこ)とよばれ、立つことも出来ないほどぐにゃぐにゃの醜い姿をしていました。
これでは「差別にもつながりかねない」というわけではないとしてもこの姿はちょっと神話に程遠いものです。
もちろん後の時代に作られた話ですが…本来は鯛も一尾だけで「つつましさ」をあらわしているとか、立てないから「お足が出ない」…つまりお金が貯まる、とかいわれたにもかかわらず、この恵比須さまは二匹目の鯛を釣っていますし、立派なおみ足を持っています。
非常に楽しい画ですが、神話や信仰史をもう少し勉強していただきたいものです。

これは戸隠神社(宝光社)の絵馬です。
「おかめ」に見えますが、 天の岩屋伝説を伝える地域生を考えますと、岩戸の前でストリップを舞った天鈿女命(あめのうずめのみこと)でしょう。
すぐ近くにはこの女神を祀った火之御子神社もあります。
シンプルですが良いデザインです。

成田山新勝寺の本尊・不動明王の絵馬です。
このアニメチックなお不動さんが、妖怪とも恐れられた平将門を調伏(ちょうぶく=呪詛)したとは想像し難いものがあります。
まあ、時代が不動明王さへもアイドル化してしまったということでしょうか。


同じく成田山新勝寺の愛染(あいぜん)明王。
その名から恋愛成就の神とも、染め物業の守護神ともいわれています。
この絵馬の場合はもちろん恋愛系。しかし仏神の絵馬の裏面には西洋風にキューピットの弓矢が…
この世知辛い時代にはさすがの明王もなりふり構ってはいられない?

上野公園・上野大仏
上野公園には顔面のみが残された大仏があります。それでもかなり大きい。
じつは、昔は像高約6メートルのもある釈迦如来坐像だったのです。寛永8(1631)年に 越後村上藩主・堀直寄が戦死者慰霊のために漆喰の釈迦如来坐像を建立したのが始まりですが、後に金属製になります。
しかし 度重なる罹災(地震3回、火災1回、軍需金属資源として供出)などで損壊・消滅し、今では大仏山と呼ばれる丘の上に顔面部のみがレリーフとして保存されているというわけです。
入試成就にもご利益があります。


目黒区・五百羅漢寺の再起地蔵尊。
世の中、再起を期している方は多いだろう。そんな方には大変ありがた〜いお地蔵さまです。私も還暦を迎え、思わず入手させていただきました。シンプルですが優しさに満ちあふれた図柄です。

静岡県袋井・可睡斎の勢至菩薩。観音菩薩と共に阿弥陀仏の脇士を務めています。絵馬には午年守護と書いてありますが丑年に午年の絵馬を並べているのもおかしなものだと思いましたが絵柄がきれいなので入手しました。

横浜・岡村天満宮の菅原道真公。
受験生から絶大な人気のある菅原道真公の絵馬ですが、2種類あるのは、「願いごと用」と「お礼詣り=願ほどき用」です。
全く同じ版ですが赤と緑の刷り色逆にしただけです。願ほどきは、梅の花の色まで緑になってしまっていますが…
孫を連れてお参りしたのですが結果やいかに…。数年後が楽しみです。

湯島天神の菅原道真公。
この絵馬にはサインペンが付属していました。
ところで、菅原道真が牛に乗ったとはあまり考えられません。当時はやはり牛車でしょう。
しかし、wikipediaによりますと、菅原道真と牛との関係は深く「道真の出生年は丑年である」「大宰府への左遷時牛が道真を泣いて見送った」「道真は牛に乗り大宰府へ下った」「道真には牛がよくなつき、道真もまた牛を愛育した」「牛が刺客から道真を守った」「道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた」など牛にまつわる伝承や縁起が数多く存在するそうで、これにより牛は天満宮や天神社において神使(祭神の使者)とされ臥牛の像が決まって置かれているということです。
ナルホド!

杉並区・大宮八幡宮の菅原道真公。
境内の大宮天満宮の絵馬です。もちろん「受験合格」「学業成就」のご利益を謳っています。
「東風吹かば…」の歌でご存知のごとく、道真公が梅を愛し、梅の方でもその愛に応えて太宰府を初めとして全国の天満宮や天神社まで飛んでいった縁起は全国にうんざりするほど多く残っています。
この絵柄も道真公が梅を眺めているシーンですが、あの、雷となって荒れ狂う絵の絵馬はないのでしょうか(雷は道真公本人ではなく、手下だったらしいのですが)。
いずれにせよ、 私は大怨霊だった頃の道真公(菅公、雷公)も好きなのですけど。
そうなりますとご利益は「復讐」「怨敵調伏」になりますね。

調布市・深大寺の元三大師。
コメントはおふだの部にも書きましたのでそちらと重複しますが…
元三大師とは平安時代の高僧・慈恵大師良源(913〜985)のことで、長い眉毛が角のように生えていたので角大師ともよばれています。人々を救い、百鬼夜行の疫病神を退散させるため禅定に入り、夜叉(鬼)の姿となったものです。
目黒区・五百羅漢寺の羅漢さん達。羅漢さんとは、ほんらい小乗仏教の聖者のことですが、一般には修行を積んだお坊さま(の仏像)ととらえて良いでしょう。五百羅漢寺には江戸時代に彫られた木像が305体残っています。見学は有料ですが、それは壮観で見事なものです。
高尾山の天狗絵馬。
東京都の高尾山といえば今や国際的な人気のある山です。もともと高尾山の天狗も烏天狗だったはずなのですが、現在ではすっかり鼻高天狗の人気に押されてしまいました。
茶店でも烏天狗のお面はほとんど見かけません。しかし、高尾山人気に一役買っているのも事実。
これも時代でしょうか。
筑波・加波山(かばさん)の天狗。
こちらもまた鼻高天狗ですが、野趣があり気に入っています。
しかし、あまり人気がないらしく(つまり、売れていないので)陽に当たる上部がちょっと日焼けしております。
相模大山阿夫利神社の願かけ天狗。
雲に乗って空を飛んでおります。 葉の付いた竹を杖にしています。烏帽子の一種でしょうか、ベレー帽みたいなものをちょこんと頭に載せています。天狗というよりも鼻が異常に長いお人好し仙人みたいな風体です。
大山の阿夫利神社は昔から雨乞い信仰のある山ですから、この願かけ天狗も右手の羽団扇(ヤツデの葉のようですが)を扇いで雨雲を呼び寄せてくれるのかも知れません。

静岡県浜松市天竜区の秋葉(あきは)神社は全国の秋葉神社の総本宮と思われがちですが、じつは秋葉神社を名乗るのは明治元年からなのです。祭神は火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)であり、天狗(三尺坊大権現のつもりか)ではないのですが…いずれにせよ、明治政府の神仏分離令は余計なことをしてくれたものだ。
そのあたりのいきさつは秋葉山本宮秋葉神社、秋葉山秋葉寺を参照してください。

足柄市・最乗寺の道了尊
了庵禅師というお坊さまが、応永1(1394)年に最乗寺を開山するという話を聞き、忽然と天狗に変じて空を飛び禅師の元に馳せ参じた道了尊の姿で、早い話が烏天狗です。
天狗は一般的に鼻が高くて赤い顔をした姿ですが、この嘴の付いているスタイルは「古いスタイルの天狗」に属します。なぜなら、天狗はもともと鳶(トビ)やノスリなどの猛禽類が妖怪化した鬼神だったからです。
でも、この烏天狗を描いた絵馬は時代に媚びていなくて、嬉しい限りです。
貧乏神神社の貧太郎。
その名に恥じないシンプルさ。スタンプが押してあるだけです。「災禍転福」と書いてあります。これが貧乏神が祀られている所以。
しかし、板に合わせてもう少し大きなスタンプを作っても良いのではないでしょうか。
王子稲荷の鬼女。
天狗も貧乏神も神仏の部で紹介しましたから、鬼女も神仏に入れます。ちゃんとご利益もありますし…
なにも王子稲荷は「狐」だけではないのです。
これは近世(1800年代前半)の大家といわれる柴田是真の出生作といわれる「茨木」の扁額を絵馬にしたものです。
もちろんオリジナルは社宝で、文部省から重要美術品に指定されています。
茨木とは茨木(茨城)童子のことで、ご覧の通りの鬼女。
この絵は羅生門で渡辺綱に切り落とされた片腕を奪い返し、地を蹴って空に舞い戻ろうとした瞬間を描いたものだそうです。
どんな手段を使ってでも欲しいものを手に入れるぞ! という一念にならって「祈心願成就」というご利益になっているのですが、当時の幕府の粛正政治に対し、商権回復を願った「砂糖問屋組合」が、奪われた商権を鬼女の片腕にたとえて祈念を込めて奉納したという話です。
利権絡みの経過があったのかも知れませんが、かなり「反体制的な絵馬」なのですね。

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