諸神・権現・高僧系

ここでは日本古来の神々や権現・明神、高僧、そのほかのおふだをご紹介します。
ただし、もともと日本の神々は「気」や「自然」の中に鎮まっていると考えられており、
本来その姿は見えません。あくまでも「仏像」にならって「神像」が登場したのです。
ちなみに仏教界でも、よく「秘仏」とされている仏像がありますが、これは逆に神道の影響、
つまり、神秘は諸衆の前に、むやみに姿をあらわすものではない、という思想の影響だといわれています。
逆に、権現とか明神とは諸衆の前にあらわれたということを知らしめるための像といえます。
また日本では、実在した偉人、人や動物の霊なども神(権現、地蔵、稲荷、疫病)になるという特徴があります。

   

上は熊野権現のおふだで、烏点の牛王(うてんのごおう)宝印、俗に「オカラスさん」といいます。
一番上は熊野本宮(カラス88羽)、下段右が新宮=速玉大社、下段左が那智大社のもの。
多くのカラス文字でそれぞれ三山(三体)の熊野権現をあらわしています。
鎌倉〜江戸時代までは熊野修験者や比丘尼がこのおふだを全国に売り歩いていたそうで、
武将から遊女にいたるまで、このおふだの裏に誓詞を書いて約束証文・誓約書として使っていました。

これも、烏のおふだで茨城県加波山(かばさん)神社のものです。
熊野のものに比べると烏の数が少ないように見えますが、熊野の護符はそれぞれ熊野三山の神をあらわしており、加波山の神は一山分だけと考えれば決して少ないわけではありません。

宮司の奥様の話では熊野以外で烏点を使っているのはここだけだそうです。
私見ですが、カラスは人の魂をあの世まで運んでくれる聖なる動物ですから、熊野も加波山も葬送の山だった…つまり鳥葬の名残ではないかと思います。つまり死者の赴く山だったわけで、ちなみに、どちらも修験の山です。

御嶽山(みたけさん)の大口真神(おおくちまがみ)のおふだ。
関東の方ならご覧になった人も多いと思います。これは山の神であるオオカミ…別名「オイヌサマ」です。奥多摩や秩父一帯には狼信仰がありました。
恐ろしい存在を畏れ敬った山里の人々の気持ちがこの神を現出させたことは想像にかたくありませんが、実際に兎や猪、鹿などによる食害から農作物を守ってくれたらしいのです。
そんなことから農耕や盗難除けの神になりました。盗難除けの場合は、家の外に貼ることが多いようです。
また、狐憑きにも効果があったようです。
08年には、このおふだに関するドキュメンタリー映画『オオカミの護符』が上映されました。

熊野古道中辺路の入口にある滝尻王子の朱印。
王子とは熊野参道に点在する小社・小祠のことで、熊野とは関係なく全く独立した神々とか、熊野神社の末社とか、熊野権現の御子(みこ)神…などいろいろな説があります。

朱印はおふだとはちょっとニュアンスが異なるようです。つまり、おふだより、日付が入っていますし、祈念スタンプ的な要素が強いようです。参拝先に気に入ったおふだ類がない時などには朱印をいただくことにしています。
滝尻王子には2軒の売店がありましたが、そのうちの1軒の軒先に「熊野王子の朱印を発行しているのはここだけ」と書いてありましたので迷わずいただきました。しかし、それもそのはず、その先いくつかの王子を巡りましたが、売店すらないところがほとんどでした。

 

東京都調布市深大寺のおふだ。
この二枚のおふだはセットになっており、家や部屋の外と内側に貼るようになっています。
元三大師とは平安時代の高僧・慈恵大師良源(913〜985)のことで、長い眉毛が角のように生えていたので角大師ともよばれています。人々を救い、百鬼夜行の疫病神を退散させるため禅定に入り、夜叉(鬼)の姿となったものです。つまり毒をもって毒を制すの仏教バージョン。
手前のおふだは大師の小さな姿がたくさん並んでいるので「豆大師」または「魔滅大師」といわれるタイプ。ともに悪魔(病魔)降伏のおふだです。

飯縄系でご紹介した三尺坊や道了尊が、自ら念じて天狗の姿になったという話もありますから、このあたりからの伏流があるのかも知れませんね。

 

鎌倉市腰越の小動(こゆるぎ)神社のおふだです。
この神社の祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)、建御名方神(たけみなかたのかみ)、日本武尊(やまとたけるのみこと)で、どなたも武勇で名高い神々です。このおふだには、それらの荒ぶる男神をイメージした神像が描かれていて、すごくカッコイイと思います。
ただし、明治以前は八王子宮(八王子大権現)とよばれていたそうですから、もともとは仏教系の牛頭天王(ごずてんのう)と係わりが深かったのかも知れません。この王に八人の王子がいたからです。また、この王は日本では須佐之男命と同神とされましたので神仏分離令が出た明治以降、社名を変更せざるを得なかったのでしょう。

戸隠神社とは、信州戸隠山の麓から中腹にかけて宝光社火之御子社中社九頭龍社奥社と点在する五社からなります。このうちの九頭龍社はもともとこの山に棲む悪龍(悪鬼とも)を岩に封じ祀った社です。仏教サイドから悪者にされたわけで、本来は山の神、つまり竜神(おろち)だったわけです。龍神は水を司る神ですから麓の農村の信仰を集めるわけです。ですから「耕作」のおふだというわけです。
また、ここでは紹介できませんが、戸隠神社の社紋は「鎌卍(かままんじ)」で、卍形のそれぞれの先が鎌の刃になっているのです。これもやはり農耕神にふさわしいデザインになっています。

最近お目見えした新作のおふだです。
この戸隠神社は、その壁のような岩山の形容から「天の岩戸開きの伝説」と深く係わっています。つまり、天手力雄命(たぢからおのみこと)が投げた天の岩戸が飛来して戸隠山になったというわけです。
天手力雄命には、もっと荒々しいイメージを持っていましたが、意外とほっそり系で上品なお姿ですね。
ちなみに、火之御子社以外の戸隠神社も明治までは修験の寺院でした。

埴安姫(はにやすひめ)は便所の神ですが、大変美しい女神だといわれています。両の手でそれぞれ大便と小便を受けてくれます。で、便所に唾を吐くと手がふさがっているので口で受けざるを得なくなり、大変怒るそうです。
また、人前に姿をあらわすことを嫌うため、便所に入る前には、必ず咳払いをするなどのサインを送らなければなりません。現代風にいえばノックせよ、ということです。
ただ、目が見えないそうです。ですから妊婦が便所をせっせと掃除すると美しい子を授けてくれるそうです。
便所は聖域でもあり、あの世とこの世の境界でもありますから、あの世からやってくると思われていた新生児を司る神でもあるのです。神話のなかでも穀物は汚物や排泄物、屍から生まれています。
便所の女神はエチケットやモラルの神であり、人や物の生死…とくに生誕に深く係わる神でもあったことが、これらの言い伝えからわかります。

同じトイレの神でも烏芻沙摩明王より親しみやすそうなので我が家のトイレにも貼ってあります。
特別どの神社のおふだというわけではありませんから、見かけたら購入されたらいかがですか。
将来「しも」のお世話にならぬようお祈りすると良いそうですよ。
ちなみに、これは西東京市の東伏見稲荷神社で入手しました。

これも、どの神社のおふだというわけではありませんが、私は調布市深大寺近くの青渭(あおい)神社で求めました。
これは竈(かまど)、つまり台所=火の神様です。埴安姫と同じく屋内の決まった場所にいる、身近な神様(屋敷神)で、やはりつい最近までどの家でも祀っていたようです。
マッチやライター、ましてや自動点火装置など無かった時代、竈の火は使用するたびに点火していたわけではありません。主婦は火種を守り続けていたわけで、万が一それを消してしまい、他家から火種を借り受けるなどということになれば、大変な恥とされました。そんなわけで火防の意味も含め、火の神様を竈の近くの清浄な場所にお祀りしていたのです。
これらの屋敷神は一家の繁栄を保証してくれるものですが、反面、粗末に扱うと、大いに祟ると畏れられていました。
三本の幣(へい)が描かれている理由は下でご説明します。

竈の神は三柱(三神)おられると考えられています。
*神様の単位は「柱」として数えられます。キリスト教などの一神教ではあり得ない言葉ですね…
ただ、出生が非常に複雑なので、この場ではとても書ききれませんが、一つの説として、
この三神とは大歳神(おおどしがみ)、奥津彦命(おきつひこのみこと)、奥津媛命(おきつひめのみこと)だといいます。大歳神とは歳徳神、恵方神ともよばれ「お正月」の神様のことです。奥津彦、奥津媛はともに大歳神の御子で、赤く熱した炭火=熾火(おきび)の神格化だと思われています。
また、竈神は荒神さまであるという説もあります。字のとおり、大変荒々しく激しい神様で不浄を極端に嫌うため、火で不浄を焼きつくしている場所、すなわち竈に棲まわれるのだそうです。
ほかにも零落して死んだ男を竈の傍に埋めて祀り、守り神にしたとか、醜い容姿のカマオトコ(ひょっとこ)のことだとか、様々な説があります。

これは、上でご説明した竈神・荒神が仏教化した姿で、「三宝荒神」といいます。三宝とは仏・法・僧のことですから、明らかに荒々しい神=夜叉が仏法に帰依し、明王系の憤怒の姿をした善神となって諸衆を救うということをあらわしています。金剛王と同神ともいわれ、三面にそれぞれ三眼を持っています。
家の中では安全と火防の神として、やはり竈の近くに祀られます。屋外で守護神として祀られる場合もあり、信州善光寺の仁王門にも祀られています。
このおふだは鬼子母神で有名な雑司ヶ谷の法明寺のもので、火難と水難にご利益があるそうです。

東京都新宿区四つ谷の須賀神社に置いてあったおふだです。
疫神とは疫病(えきびょう)神・厄病(やくびょう)神のことで、貧乏神もこのお仲間だそうです。
基本的には御霊(ごりょう)信仰から出た神様で、御霊とは菅原道真公や崇徳上皇などに代表される権力者の怨霊のことで、昔は疫病や田畑の害虫、天災などは、この怨霊のせいだと考えられていたのです。
ですから怨霊をお祀りして鎮魂するわけです。このお祭りを御霊会(ごりょうえ)といいます。
昔は村はずれまで御霊や害虫を送ったり、焼いたり、流したりする行事をしていましたが、都会では村はずれという概念がありませんからそうもいかず、 このおふだの場合などのように、病気平癒などの祈念は個人的におこなうしかないのでしょうか。
願いが叶ったあかつきには神社でお焚上げをしてもらうことになるのでしょう。

江戸の稲荷総社といわれる王子稲荷の朱印です。
お稲荷さんといえばキツネです。王子稲荷でもキツネグッズはあるのですが、じつはキツネのおふだを出している神社はあまりありません。
じつは王子稲荷の名物は火防のご利益のある奴凧なのです。ただし、これは正月にしか分けてもらえません。

王子稲荷に関する落語に「王子の狐」がありますが、これについての小論は拙書『八百万のカミサマがついている!』に掲載しています。

何の変哲もないおふだですが、アメリカに住む娘に送ったものです。
娘の安寧を祈る気持ちを込めて掲載しました。
東京都新宿区早稲田にある水稲荷とは、その境内の大椋(おおむく)の下から霊水が湧き出したことから名付けられたようです。
もともとは富塚稲荷とよばれ、早稲田大学構内に祀られていたようです。しかも勧請したのは平将門の宿敵、俵藤太秀郷(たわらのとうたひでさと)だということです。

JR新橋駅の烏森口から徒歩5分ほどの距離に鎮座しています烏森神社の朱印。
ここも将門を討った俵藤太秀郷の勧請だというから、近くにある神田神社(将門を祀っている)とは敵対関係になるわけです。しかし、『江戸名所図絵』ではそのことに関し「信としがたし」と断定しています。
同書の挿絵には烏森稲荷とあり明治までは稲荷神社だったことがわかります。またその挿絵のイメージを持ったまま訪れますと、総コンクリート造りのモダンな社殿を見て腰を抜かすことになります。

戸隠の荒倉山、毒の平(ぶすのだいら)には鬼女紅葉(きじょもみじ)を祀った小祠・紅葉稲荷があります。ここで毎年、紅葉祭りが催されるのですが、その時に入手した朱印です。
鬼女紅葉の話は、昔から語り継がれた伝説だと思われがちですが、じっさいは明治時代に今の形に完成したものです。
ですからこの小祠も比較的新しいモノだと思います。
しかし、それがわかった上で紅葉を愛する人は多いのです。私もその一人です。
紅葉祭りに関しては鬼女紅葉祭り見聞録をご覧ください。
相模・大山寺烏点の牛王(うてんのごおう)宝印。どこからどこまでが烏なのかよくわかりません。降魔の剣を形取った文字にも見えます。右は確実に「大山」と書かれていますね。
いずれにせよ、熊野修験の影響を強く感じます。

同じく相模・大山寺おふだ。
歳徳神とは年神、大年神ともよばれる穀物の神でスサノオの命の御子であり、お正月さまとして親しまれているというのが一般的な説ですが、この絵の歳徳神は恵方を司る神です。どう見ても中国の神々の一団にしか見えないのは、陰陽五行思想に由来している神々だからです。
この場合の歳徳神は女神とされ、スサノオの命の妃です。それで周囲にいる神はその御子神たちで八将神とよばれ、いずれも暦の吉凶を司る神々です。左から歳刑神、大将軍、大歳神、大幡神(黄幡神、歳殺神、歳破神、大陰神、豹尾神。中でも金星の精とされる大将軍は祟りの強い神として恐れられた。

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