おふだ-飯縄・ダキニ系

ほんらい「飯縄(いづな)・ダキニ系」は権現(明神)部または天部に属する神仏なのですが、
私にとって最も係わりの深い神様なので最初にご紹介することにしました。


高尾山薬王院の本尊・飯縄(いづな)大権現御影(みえい)
この神の姿は、ズバリ「狐に乗った烏天狗」です。


薬王院では不動明王の化身と解釈していますが、一般的には天狗やダキニ天の変化、
あるいは稲荷神と考えられています。
なぜそのように実態がはっきりしないのかといいますと、
飯縄神はもともと、人間(宗教者)が修行の中で捻出した神体ですから、
ご利益に応じた複数の神々が合体した姿をしているからなのです。
以下、簡単な解説を加えながら、この神のバリエーションをご紹介します。


上のおふだの全体図。
武州高尾山薬王院は真言宗の密教寺院です。密教における最高神は宇宙そのものの観念である大日如来です。
その大日如来が一つのバリエーションとして姿を変えた(垂迹)仏が不動明王(お不動さん)です。
その不動明王が衆生(私たち民衆)を救済するために、長野県の飯綱山に現れたとされるのがこの飯縄大権現(飯縄大明神)なのです。
なぜそんなに面倒な変身を経て登場したか、といいますと、これがいわゆる「神仏習合」という考えから出た姿で、つまり、神様の都合…というより、人間の都合でこのようなお姿になったのです。
薬王院ではこの姿を「五体合相」と説明しています。つまり、五体とは不動明王、カルラ天、ダキニ(荼枳尼)天、歓喜天、宇賀神+弁財天が合体した強力な神様なのです。それぞれの神様の解説は徐々にいたします。
ただ、飯縄大権現出生の地、飯綱・戸隠では、カルラ天ではなく飯縄三郎坊天狗といわれています。

平成15(2003)年春に、高尾山のパークボランティア会員となった私は、薬王院の本尊である飯縄大権現と飯縄信仰について非常に興味を惹かれました。もともと民間信仰の歴史が好きだったのです。
この飯縄大権現のルーツが、長野県の飯綱(いいづな)山 と知った私は、さっそく翌平成16年の夏に飯綱山に登ってみました。高尾山は海抜600mほどですが、こちらは2000mほどの高さです。
この山の山頂近くには奥宮西窟があり、今でも飯縄大明神が祀られています。高尾山の喧噪にに比べますと、ずいぶんひっそりと…ではありますが。
奥宮の前で感慨に耽っておりますと、山麓から登ってこられた飯縄講(氏子)の方に声をかけられ、高尾山から飯縄信仰の勉強に来たのだと告げますと、お宮の奥からゴソゴソとこのおふだを出してきてくださったのです。
私には宝物に思えました。

上のおふだを頂いた時には全く気にならなかったのですが、後によくよく見ると「信州善光寺常圓坊鎮座」と書いてあることが気になり始めました。翌平成17年の夏、善光寺の宿坊「常円坊」を訪ねてみますと、確かに飯縄大権現を祀っているということでした。訪問の事情を話しますと特別に拝観させてくださいました。
こちらの飯縄大権現の本地は大聖不動明王だそうで、仁王門の荒神様と共に善光寺の本尊である「善光寺阿弥陀如来」を火災からお守りする役を務めているそうです。
それで、いざというときに野山を素速く駆け回れる狐に乗っているそうです。
ほかにも、戸隠・飯綱の神々との係わりなどを伺い、このお札をいただきました。

上記のとおり、飯縄大権現には火防・火伏のご利益があるのです。なぜかということは徐々にご説明します。
私が飯縄信仰と高尾山の神々に係わる本『スキャンダラスな神々』を出したのは平成18年の春です。長野市内の出版社「龍鳳書房」さんが出版してくださいました。
その年の夏、飯綱町牟礼(飯綱山の東北側山麓)にある「いいづな歴史ふれあい館」から招待状をいただきました。飯綱信仰「羽ばたく飯綱三郎天狗」特別展が開かれていたのですが、拙書も参考資料として取り上げてくださったということなのです。
ちょうど龍鳳書房さんの口利きで「戸隠遊行塾」の講演会にも講師としてお招きいただいていたので、さっそく見学に伺いました。
このおふだ(版画)はその時、学芸員の小山さんからいただいたものです。出所不明の版木だそうですが小山さん手ずからの印刷です。

左は上記、飯綱山山頂にある飯縄神社奥宮と山麓にある飯縄神社里宮のおふだです。里宮は全国にある飯縄神社・飯綱神社の総本山とされていますが、明治時代の神社合祀運動のさなか、「皇足穂命(すめたるほのみこと)神社」と改名させられました。皇足穂命は食物の神様です。
式内郷社として神社を存続させるためには主祭神が天狗ではマズかったのでしょうか。しかし、この地ではもともと飯綱山の神様といえば日本第三の天狗である飯綱三郎坊天狗と信じられていたのです。
しかし、私が訪ねた当時は宮司さんもいないひっそりとした神社で、土地(荒安地区)の氏子さんたちが管理をされていました。
この2枚のおふだは、当時の氏子代表の方に分けていただいたものです。
*現在は戸隠神社の宮司、越志先生が里宮の宮司も兼ねておられます。

この飯縄大権現と同じ姿をした神様は秋葉三尺坊大権現といいます。もともとは秋葉山(あきはさん)の秋葉寺(しゅうようじ)に鎮座していたのですが、明治以降、静岡県・袋井の可睡斎に祀られています。火防の神として、戦乱の収まった江戸庶民の新たな大敵となった火事を防いでくれる神様ということで大ブレイクしました。右はその火の用心のおふだです。今や世界的に名の知れた秋葉原の地名も、ここからきています。
三尺坊は実在したお坊さんと伝えられ、新潟県栃尾市の般若院三尺坊の阿闍利(高僧)だったとか、戸隠宝光社・教釈院(現・岸本家。明治以前まで戸隠神社は寺院だったのです)の住僧だったとか、ここで誕生したなどという説があります。
大変小柄だったので三尺坊と呼ばれたという説もありますが、逞しい御影を見る限りでは、とても小柄には見えません。
しかしなぜ、飯縄大権現と同じお姿かといいますと、じつは、三尺坊は飯縄大権現の息子なのです。

これが上記・秋葉寺の三尺坊大権現のおふだです。
ややこしいのですが秋葉山の山頂近くと山麓には秋葉神社があります。しかしこの神社と三尺坊は無関係です。
じつは山頂近くの秋葉神社より少し下ったところに秋葉寺(しゅうようじ)というお寺があるのです。江戸時代までここに祀られていたのが本来の三尺坊大権現でしたが、明治時代の神仏分離令で上記・可睡斎に仏体を預けられてしまったのです。
その後、信徒達が申し出て廃寺となっていた秋葉寺を復活させたのです。したがって江戸時代に多くの庶民が参拝したのはこの秋葉寺だったというわけです。

これは戸隠宝光社・教釈院における僧形の三尺坊で、現在は宝光社の宿坊「岸本旅館」となっている戸隠秋葉会のおふだです。岸本宮司から頂きました。
鼻が伸びて天狗の相をしており、ここでもやはり火防の神としての信仰を集めています。この座り方を半跏趺坐といいますが、戸隠公明院に祀られている紫金仏(地蔵菩薩)もやはり僧形の飯縄権現といわれています。
岸本家には秋葉三尺坊が起こしたといわれる多くの奇跡談が伝わっています。
なぜ天狗が火防の神なのかといいますと、江戸時代の火事は天狗の仕業だと思われていたからなのです。天狗は持ち物の羽団扇で風や火を自由に操れる魔神だと考えられていました。
ですから庶民は天狗を祀り、火事を起こさないように祈ったのです。

 

これも秋葉三尺坊大権現。目黒不動尊の近く、蛸薬師で有名な成就院のおふだです。蛸薬師の絵馬を購入しに訪れて偶然見つけました。秋葉山がこのお寺に分祀されていたのです。
で、上記の続きですが、ある晩、三尺坊の母が観音の化身である天狗の夢を見たそうです。その後懐妊し、宝亀9(779)年に生まれたとされています。
栃尾市にしろ、戸隠にしろ、あの辺で天狗といえば飯綱三郎坊しか考えられません。ですから三尺坊は修験僧になってからは飯縄神を深く信仰し、苦行を重ね、自ら本尊たらんと念じた結果、このような姿となって秋葉山に舞い降りたというワケなのです。

 

こちらもやはり飯縄大権現とほぼ同じお姿(右手には降魔の剣ではなく、金剛棒を持っている)で、道了尊といいます。金太郎で有名な神奈川県足柄市の大雄山最乗寺の守り神です。道了尊はもともとは三井園城寺の大行者だったそうですが崇拝する同郷の了庵禅師が応永1(1394)年に最乗寺を開山するという話を聞き、忽然と天狗に変じて空を飛び禅師の元に馳せ参じたといいます。
そして500人力の霊験を発揮して土木の業に従事しました。禅師の死後は最乗寺を守護するため姿を消して今でも山中に身を隠しているのだそうです。
手前のおふだのご利益は「家内安全」「息災延命」となっていますが 、大天狗、小天狗の文字が見えます。

飯縄大権現や秋葉三尺坊大権現の姿の元になったモデルは、このダキニ天(荼枳尼天、荼吉尼天)です。もともとインドでは人の心臓を喰らい血をすする女夜叉でしたが、大黒天に服従し、やがて中国を経て日本に渡ってから徐々に善神へと変身し、ついには豊川稲荷や最上稲荷のご本尊である稲荷神へと大出世を果たし美しい福神となりました。しかし一方ではこの女神を祀ると過去現在未来の事柄を自在に知ることが出来るようになると信じられていました。
これをダキニ信仰といいます。一種の邪教でもありました。
じつは、この女神と一緒にいる(女神の本体ともいわれる)狐がクセものなのです。

一方、美しい女神としての姿は戦国時代の武将たちにとってはインパクトに欠けたのでしょうか。飯綱山に籠もった武将修験者・千日太夫によって女神は狐から降ろされ、飯綱山の天狗にとって替わられたのです。
晴れて飯縄大権現となった戦神はその後、上杉謙信、武田信玄、北条氏康らに篤く信仰されるようになりました。

一方、豊川稲荷のダキニ天や、この穴守大神のように大衆のための善神的側面がフィーチャーされた場合は稲荷神として愛されました。
こちらは羽田裏に鎮座する穴守稲荷のおふだです。仏教系ダキニ天の神道系バージョンといえます。
お姿は日本風の女神ですが、宝珠と稲束を持つところは上のダキニ天像と同じです。

お稲荷さんにはもう一つ翁系バージョンがあり、こちらは宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)とよばれています。

高尾山薬王院にも稲荷社(福徳稲荷)があります。権現堂の横にひっそりとある神社風の小社です。正面にはちゃんと鳥居もあります。祭神はダキニ天。で、私はこの小社こそ薬王院の本体だと考えているのです。余計なお世話なんですけど。
ま、その話は長くなりますので、別の機会に発表するとしまして…それよりおふだの中に押されている朱印(宝珠)にご注目ください。
これはダキニ天の神紋で、上の穴守大神にも三尺坊大権現のおふだにも押されています。
いいづな歴史ふれあい館の狐の頭にも見られます。
ここが、飯縄大権現が限りなくダキニ天=稲荷神に近いと考えられている所以なのです。

こちらが宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の神像です。倉稲魂命(うかのみたまのみこと)ともよばれています。成田山新勝寺の境内に鎮座する出世稲荷のおふだです。
じつは現在も全国に残る飯綱神社の祭神はほとんどこの神様なのです。
宝珠と狐(翁像の左下に「お座り」をしています)が登場するということは、稲荷神とは美しい女性の姿をした女神にもなり、狐にもなり、翁にもなる変化自在の神様だということがわかります。時には蛇体にもなって宇賀神とよばれることもあります。飯縄大権現もよく白髪の老人になって修行者や困っている人の前に現れることがあります。

ちなみに倉稲魂命はお正月に私たちの家にやってくる大年神(おおとしがみ)の弟神です。飯縄神社里宮の祭神、皇足穂命とも無縁ではないと思われます。

これは茨城県・筑波山の奥山にあたる加波山(かばさん)神社のものです。
修験の山にはほとんど守護神としての天狗が祀られています。
この山には今でも
岩切神(いわきりのかみ)という天狗信仰があり、かつては飯縄系のおふだを出していたということです。
残念ながらそのおふだはもう出していないということでしたが、この天狗さまも荒々しい顔をしていて気に入っています。
   

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