おふだ-如来・菩薩系

法曹界でも神職界でもそうですが、はっきり申しあげて神仏の世界にも上下の位が存在します。
ホントのことを言ってしまいますと「血筋(尊卑や世襲)」なのですが、それではミもフタもありません。
まあ、夜叉でも天部までは入れますし、極悪人が神として祀られるケースも多々あります。
しかし、以下にご紹介する仏教界の如来や菩薩はホンモノです。
如来は「真理(さとり)に目覚めた者」、菩薩は如来の予備軍で「将来的にさとりに到る者」という意味。
「お薬師さん」「お地蔵さん」など、私たちを救ってくださる神仏の代表格です。


成田山新勝寺奥之院の金剛界大日如来
成田山新勝寺は、川崎大師平間寺、高尾山薬王院と共に真言宗智山派の関東三大本山とされています。
本尊は不動明王ですが、真言宗のお寺らしく奥之院(旧本堂=光明院)には大日如来が祀られています。


上のおふだの全体図。
大日如来は 密教における中心本尊で、その名からも推測できますように太陽神信仰に起因しているらしいのですが、宇宙の真理そのものを仏の姿としてあらわしたものといわれています。有名な奈良の大仏(盧遮那仏)と同じ仏様です。
この図のような指の組み方を「智拳印」といいます(ちょっと忍者の印に似ています)。
同じ大日如来の像でも、互いの親指の先を接するように両手の指を伸ばして重ねている状態を「法界定印(ほうかいじょういん)」といい、こちらを胎蔵界大日如来といいます。

阿弥陀三尊。長野善光寺のおふだで、中央が阿弥陀如来。向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩を配しています。他にも七体の仏様が光背の中にいます。本来、阿弥陀如来に従う菩薩は二十五尊なのだそうです。
版がつぶれていてわかりにくいのですが、手前に二人の僧がいて、この三尊を見上げています。これは、阿弥陀様が西方浄土から来迎されているところなのでしょう。来迎とは、仏様が信者を浄土に導くために迎えに来てくれるということです。
善光寺の地下(ご本尊の下)には暗黒の回廊があり、ここを巡るとこの朱印のお札を入手できます。

東京都中野区、新井薬師のおふだです。
新井薬師として有名ですが、お寺の名は梅照院といいます。鎌倉時代の武将新田家の城(入手資料には場所までは書いてありません)の仏間から忽然と姿を消した尊像が、ある日突然、当地の梅の古木の穴から光を放って現れたということから梅照院というのだそうです。
名前のとおり、薬や健康を司る如来ですから、一般的には薬壺を持っている像が多いのですが、この像は釈迦如来とおなじ「法界定印」を結んでおり、古いスタイルの薬師如来像だといわれます。

「子育」「治眼」とありますが、江戸時代初期、如来の啓示によって優れた小児薬を調整したとか、二代将軍徳川秀忠公の第五子和子東福門院が煩った悪質な眼病が祈願の末、快癒したとかの言い伝えがあり「眼の薬師」「子育て薬師」とよばれるようになったからです。

このおふだは上野公園にある東叡山寛永寺清水観音堂の千手観音菩薩像です。
観音様とは「苦しむ衆生の声を観じて直ちに解脱に導いてくださる」 という意味を含んだ名前なのです。ここらが、如来に比べて少し我々衆生に近い菩薩の庶民性の所以です。

観音様にはこの千手観音のほかにも十一面観音、如意輪観音、不空羂索観音、馬頭観音、マリア観音など、多くの変化像があります。それに対して比較的オリジナル要素の強いものを聖観音とよんでいます。
千手観音はその名のとおり、多くの手(手の中に目もある)を持ち、千種類のあらゆるご利益を叶えてくれるということで人気を得ましたが、彫刻や絵画で実際に千本の手を描くことは難しいことから、一般には左右で42臂(42本)に作られていることが多いそうです。

浅草の雷(かみなり)門で国際的に人気のある浅草寺(せんそうじ)の聖観音像です。
雷神が人気ですが、浅草には風神もいますし、なんといっても、この観音様こそが本尊なのです。
本尊は推古天皇36年(628)3月18日の早朝、漁師の網に 一寸八部の黄金の像がかかって引き上げられたことで有名です。それがこの本尊です。
しかし実際に観音信仰が盛んになったのは700年代からですから、年代的には多少サバをよんでいるのではないでしょうか。まあ、縁起(奇跡談)についての真偽を云々するのも大人げないことですが…。

妻の京都みやげ。
…そうなんです、私にとってはお菓子よりもおふだや福モノが一番うれしいおみやげなのです。 ちなみに二番目は地酒です。
で、銀閣寺とは京都東山にある臨済宗の慈照禅寺のことです。そこの観音殿を銀閣というのです。ただ、金閣寺に金箔が施されていたように銀閣寺に銀箔が施されていたという痕跡はないということです。
ここの2階に観音菩薩の座像、洞中(どうちゅう)観音が安置されているそうですが、非公開です。ご利益は「開運招福」「家内安全」。
ただし、慈照禅寺の本尊は釈迦牟尼仏です。

親子対面悲話で有名な刈萱(かるかや)親子地蔵尊の朱印。地蔵菩薩が親子だったというのも妙な話ですが、こんなお地蔵さまが登場しても不思議ではないほど地蔵信仰は庶民的です。
賽の河原の地蔵尊が有名ですが、子育て地蔵、黒こげ地蔵、とげぬき地蔵、しばられ地蔵などという名で親しまれていることは、いかに身近な仏様か、ということの現れです。

長野善光寺のお地蔵さん。仁王門をくぐると大きなお地蔵さんが目を引きます。
このおふだは、後でご紹介する烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)、大般若経のおふだと共に三枚セットになっています。

お地蔵さんが「火難除」となっているのは珍しいのですが、じつは長野の戸隠地方では飯縄大権現(天狗)の本地(本体とでもいいましょうが)が地蔵尊(延命地蔵、または勝軍地蔵)だという説もありますので、突飛な話ではありません。前述しましたように、天狗は火防の神様でもあるからです。ただ、これは私個人の持論です。

これは、東京都日野市の坂下地蔵のおふだです。
銅造の立派な座像で、江戸時代正徳3(1713)年に鋳造されています。甲州街道中日野宿を通行する旅人を見守ってきました。
この地蔵堂のすぐ横に飯縄大権現の小祠(横町のエヅナ様)があり、それを調べているときにこのおふだを戴きました。…というより地蔵堂の前に「ご自由にどうぞ」という感じで置いてあったのです。地元の婦人会の方々が祀っているそうですが、いかにもお地蔵さんの祀り方らしく、親しみが持てます。
 
 
 
 
   
   
   

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