天部系

天部とは、本来仏教と関係のなかった…つまりヒンズー教や日本古来の神などが
仏教に取り入れられて、仏教の守り神になった神々のことです。これは仏教の大きな特徴です。
つまり、自分たちの神を祀っていた人々の中に仏教が抵抗を受けずに入り込むために、非常にうまく考えられたシステムなのです。
特に私たちのような多神教の信仰を持つ(持っていた)人たちには、仏も神々のうちの一神にすぎないという感覚ですから
今まで自分たちの信じていた神を否定されることもないので、一族や近隣へのメンツも立ち、宗教的摩擦が少ないのです。



名古屋市熱田区 はたらきえびすのおふだ
恵比寿さまは七福神中、唯一の純国産神です。
ですから仏教の天部に組み入れてしまうのにはちょっと無理があるのかも知れませんが
七福神と同船していることからここでご紹介します。
上の画は、ちょっと神像の姿がわかりにくいのですが、三面恵比寿像みたいですね。

これも、はたらきえびすのおふだで、上のおふだとセットです。
ますます実体がカオス化しています。もともといざなぎ神といざなみ神が最初に産んだ神で、その姿が醜くグニャグニャだったので蛭子(ひるこ)とよばれていたり、地方の海岸によっては水死体た鯨の死体などの漂着物も恵比寿とよんで祀ったほどですから、不気味なお姿をしているのは当然かも知れません。
ただ、しっかりと豊漁のシンボルとしての「おさかな」を取り込んでいますね。

徳大寺・摩利支天のおふだ。
「まりしてん」とは光線や蜃気楼、幻などの神格化です。恐ろしい形相をした男神とされることもありますが女神とされる場合もあります。猪や豚に乗っていて猪突猛進といわれるように、まさに光速のスピードを持つ神なのです。
そのせいか多くの武将に信仰され、代表は楠木正成や上杉謙信ですが、どういうわけか、毘沙門天と共に信仰されています。
徳大寺はJR御徒町のアメ横内にあり、電車から見ることができます。



水天宮(中央区日本橋)・辨財天(弁財天)のおふだ
水天宮はもともと九州の筑後川の水神だったといいます。ですから江戸でも水徳の神とされ、水難・火難除けの神様として信仰されました。水商売の人からも人気があります。
また、安産・子育ての神様としても信仰を集めていますが、この水天宮の境内に入りますとまず目に付くのが、この弁天社です。
弁財天も、もともとはインドの河の女神ですから水天宮に祀られるのももっともなことですね。

江ノ島神社・弁財天のおふだ。
江ノ島には有名な裸弁天の像がありますが、その隣にはちゃんとこの六臂(ろっぴ=手が六本あります)の弁天さまも鎮座しています。手には数々の法具や武器を持っており、芸能の神ととに、戦(いくさ)の神としての信仰もあったのです。
しかし、悪龍をその色気で帰依させたり、武士の妄想の相手をしたりとのスキャンダルまで飛び出し、裸弁天の人気は江戸時代にブレイクします。
もちろん現代でもその人気は衰えず、私も鼻の下を伸ばしながら拝観させていただきました。


熊野那智大社・青岸渡寺のおふだ。
オリジナルの宝船は次の写真のように無人(無神)だったのですが、江戸時代の中期になると、そのおめでたい船に七体の福神が乗り込み、さらにめでたくなりました。
谷中の七福神巡りがこのシステムの始まりといわれていますが、このメンバーとスタイルになるまではいろいろと神々の入れ替えや色恋沙汰があったようです。

上野公園・花園神社の宝船。この神社では宝船(ほうしゅう)の神事が伝えられています。要するに吉夢の元となる宝船の絵を売っているわけです。こちらは香雪画ですが、一筆書きの霊山筆のタイプもあります。
ちなみに、帆に描かれている宝珠は、じつはヨニ(女陰)をあらわしているのです。「ぞえじいはすぐそっちに話を持っていきたがるね」とよくからかわれるのですが、ホントだから仕方がない。

 

その谷中の七福神巡りの一神、田端東覚寺の福禄寿です。
ただし、東覚寺の本尊は不動明王で、赤紙仁王なども人気があり、失礼ながら出生のはっきりしない福禄寿がスポットを浴びるのは、ほとんど正月の期間のみと言ってもいいかもしれません。
道教の道士で南極老人星の化身、幸福と長寿を司る神だそうですが、その異常に長い頭を持った容姿や、寿老人と同じ神格だ、などという噂を聞いてしまいますと、どうも、うさん臭さをぬぐえません。
しかしこのおふだの姿は、なかなか良いと思います。


さて、天部で弁天さまと共に人気を二分しているのは、何といってもこの大黒さまでしょう。
この高尾山の大黒さまは丸々として良い姿です。いかにもめでたい。
大黒天はもともとインドの恐ろしい暗黒夜叉でしたが、日本の神話に登場する大国主命(おおくにぬしのみこと…これもだいこくと読めるところから)と合体しました。
神話では兎を助けたり、兄の神々にいじめられたりして「お人好しの神様」という印象がありますが、じつはこちらの神様は日本国土の基礎を造られたのみならず、大変な好色ですし、本体は蛇という凄まじさなのです。

左は尊像を覆っている表紙。丸いものは巾着です。
上は大黒天祭(初甲子)に出される資本金(5円玉が入っています)で、ご利益があれば、翌年には倍返ししなければいけません。


道了尊でご紹介した大雄山最乗寺の三面(さんめん)大黒天のおふだです。
三面ですから顔が三つあるわけです。ご利益も三倍というわけでしょうか、戦国時代と江戸時代に流行しました。
ただ、三つとも大黒天の顔の場合と、大黒天+弁財天+毘沙門天の強力バージョンなどがあります。
この三天は福の神であると同時に戦闘神でもあります。
大黒天+弁財天+毘沙門天となりますと、まさしく七福神の精鋭メンバーですね。

これも秋葉山三尺坊でご紹介した可睡斎の大黒さま。
「商売繁盛」の神として恵比寿天と共に商売人のみならず、農家からの信仰も篤いものがあります。
頭巾、袋、小槌、米俵が特徴ですが、九州では小槌の代わりにシャモジを持ち、田の神として水田に祀られている像もあります。
袋にはもともとは穀物などの種子が入っていましたので、食物や食料の神として寺院の台所に祀られていました。
日本神話では好色神として多くの子を持っていたことや、上記のごとく種子を司っていた関係から、縁結び、子授けの神としての人気もあり、そんなことから後ろ姿が男根になった像もあるほどです。

東京府中市・大國魂神社の主祭神・大国主命(おおくにぬしのみこと)
神道では大黒さまを大国主命の他に、おおなむちのみこと、おおものぬしのみこと、などともよびます、しかしこの像を見る限り、仏教における大黒天とおなじ姿ですね。
まさに神仏混淆(神仏習合)の代表神ということです。
日本人はこうして結果的には外来の神を排除することなく自分たちの神と融合調和して受け入れてきたのです。

渋谷の宮益坂をちょっと上がると渋谷郵便局の手前に鳥居が立っています。階段を上がるとコンクリートのビルと一体化したお宮があります。
大口真神(おおくちまがみ=オオカミ)を祭神とする御獄神社の分社です。
ここにも開運大黒神が祀られていました。神道系(つまり、お寺でなく神社)ということで「天」ではなく「神」となっていますが、やはりここでも仏教系の大黒天と同じ姿です。

前出・七福神のおふだと同じ福熊野那智大社・青岸渡寺のおふだ。
米俵ではなく、蓮華の上に乗っています。
そしてこのおふだでは、はっきり描かれていないのですが 、この時代つまり打ち出の小槌を持つ以前の大黒天は女握りの拳印を結んでいたのです。宝船の帆に描かれていた宝珠をもう一度ご覧になってください。
また、この大黒天の胸にも宝珠が描かれていますね。このマーク(ヨニ=女陰)は後に打ち出の小槌面にも描かれています(可睡斎の大黒さまがわかりやすい)。それだけではなく、米俵にまで描き込まれていますね。
ちなみに、打ち出の小槌はリンガ(男根)の象徴ですがそこに描かれた宝珠は女性の象徴です。これは穀類の生産や一族繁栄のための生殖を意味しています。これが大黒さまが男女の縁結びと同時に商売繁盛(=豊饒)の神様として人気を得ている所以です。
フロイトの小難しい理屈を知るまでもなく、古来、人々は豊饒・豊漁と子孫繁栄は同レベルのこととして捉えていたのです。

JR目黒駅といえば目黒雅叙園ですが、そのすぐ先にあるのが大圓寺
ここの「開運七日大黒天」のおふだには「大黒天讃」が書いてあります。全部で四節あります。この写真では解読できないと思いますのでご紹介しますと

・勤めは堅く気はなが 食細うして色うすく 心をひろくもちたらば 不老長寿になりぬべし
・今日一日をば腹立てず 不平を云はず争わず にこにこ顔で精出さば 富貴自在になりぬべし
・身をへりくだりて高ぶらず 足ること知りてむさぼらず 世の人のため尽くす盡くしなば 子孫繁栄うたがわず
・大黒天のみこころを 常に守りておこなはば 願望すべて満ち足りて 福徳あまねく備わらん

人生の参考になさってください。
ただ、大黒天に「色うすく」は、ちょっと?ですね。
また、大黒天が「にこにこ顔」になったのも、恐らく江戸時代中期以降だと思います。
余計なコトですけど…ゴメンナサイ。

静岡県秋葉山(あきはやま)秋葉寺(しゅうようじ)の出世大黒天。本堂の聖観世音菩薩、真殿の三尺坊大権現などと共に祀られています。ここは非常に歴史のある寺院で、江戸時代には秋葉詣でのメッカになったところ。各地にある秋葉街道はここに通じているのだ。大黒さまもエエ顔してます
   

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