(07年10月21日)鬼女紅葉祭り見聞録
伝説鬼女紅葉の図(部分「毒の平で酔い伏す維茂」)/大昌寺蔵/絵:三村養益


 今回は一人旅のご報告。
 長野新幹線に乗り午前8時47分に長野着。長野駅発9時の臨時直行バスに乗るためです。
 じつは前夜、渋谷で私のバンドのライブがあり(バンド活動に関しては「ぞえじいのSOUL MUSIC」参照)、吉祥寺の自宅へ帰る間もなく駒込のオフィスで仮眠をとってからここまでたどり着いたのです。
 しかもこの日に実施される高尾ボランティア主催の「秋の自然教室」をサボって…。いや…それどころか翌月曜日早朝には、制作中のカタログの校正が入る予定で、昼までに修正をしなければ納品に間に合わないという修羅場状況の中、長野駅前の川中島バスチケット販売所で「…あの〜、紅葉(もみじ)祭りへの直行バスはどこから?」などど間抜けヅラをさらすことには、深〜いわけがあるのです。

 じつは数年前、戸隠側から林道を登って岩屋を目指したことがあったのですが、土地勘の無さと熊への恐怖(この年は人里にも熊が頻繁に出没)ゆえ途中で断念した苦い経験がありました。そうなると、ますます岩屋への思いこみが強くなるのが人情というわけなのです。

 ところで戸隠の南西部、「鬼無里」は本来「木奈佐」などと表記していたらしいのですが、鬼女の伝説にちなんで現在のように民話風に表記するようにしてからブレイクした地名です。その「鬼無里」と「戸隠」の中間には「荒倉山」があり、この鬼無里〜荒倉山〜戸隠一帯が「鬼女紅葉」の伝承の地とされています(広い意味でこの地域全体を戸隠とよぶ場合もあります)。特にこの荒倉山には紅葉一族が潜んでいたという「紅葉の岩屋」とよばれる洞窟など多くの伝承地があります。

 その荒倉山で開催され、今年で49回目という実績を持つ「鬼女紅葉祭り」の一環として、戸隠ウォーク「紅葉の岩屋を尋ねて」というイベントがあることを知り、あの断念した日のリベンジを果たすため万難を排して私はこのバスに乗り込んだわけなのです。いや…わざわざ「万難」を自ら呼び込んだわけですね。…前置きが長くなってしまいましたスミマセン。

 さて、バスはいつもの戸隠へ向かうコース(バードライン)を途中から外れ、谷を挟んだ南側の裾花川添いの鬼無里街道(国道406)に入って西に向かい、3〜40分ほど走ったところで北上、荒倉山キャンプ場へ向かいます。
 普通の路線バスなのですが、この日は特別仕立て。バスガイドさん(20年程前まではアイドルだったのかも知れません)が添乗しています。片道1,000円ですが、それでもかなり格安。
 乗客は13名。無口でマイペースな老年男性や熟年夫婦、お喋りが耳障りな派手目の熟女トリオ(うち超茶髪が一人)、地味で歴史マニアチックな女性二人(それぞれ個人参加で学生風)といった具合。どう見ても異種の寄せ集めクルーですが、皆から見れば私が一番怪しいオヤジだったかも知れません。

 バスの目的地は「鬼女紅葉祭り」会場である荒倉山キャンプ場ですが途中で鬼女紅葉の霊が祀られている「大昌寺」に寄ってくれました。
 いかにも由緒ありげで田舎ムード満点の古刹。しかし、このお寺での鬼女は「紅葉慈母観音」とよばれる観音様になっていたのには驚きました(左写真上2枚)。
 途中で先月お世話になった武井旅館の車などとすれ違ったりしながらイベント会場に到着。予定通り10:00着。ちなみに帰りは15:00発で、それまでこのバスは会場で待っていてくれるのです。つまり一日一往復のみの鬼女紅葉祭り専用バスというわけです。

 ここ荒倉山キャンプ場は「毒の平(ぶすのだいら)」とよばれる場所にあります。これは、鬼女紅葉が自分を征伐に来た武将・平維茂(たいらのこれもち)を酒宴に誘い、毒殺しようとした場所ゆえに名付けられた地名だということです(上イラスト参照)。ずいぶん恐ろしい場所のようなイメージですが、実際は全く逆で、じつにのんびりして清々しい高原です(左写真上から3枚目)。

 受付のテントで住所と名前を記入。目的の戸隠ウォークは13時からだそうで…オイオイ…3時間も何して潰すのよ! と思っていましたら、すぐ隣のテントで数人のおじさま連中が、何やら地元でしか入手出来そうもない超レアな冊子やおふだを売っているではありませんか。
 …思わず引き寄せられ、おじさま連中とゴチャゴチャ話を交わしながらも(まとめて買うから安くしろ…とか、このおふだをおまけに付けろ…とか)、結局4,000円以上の出費。そのやりとりを、バスで一緒だった女子大生風のお嬢さんがじっと観察しておりまた。「ああ、どうぞ」といって場所を譲ったのですが、何故か彼女はその場から動かず。

 欲しいもの一式をゲットしたとたんにトイレに行きたかったことを思い出しました。用を足して外に出ると例のお嬢さんが私の買ったものと全く同じセットを抱えて歩いておりましたので「おっ、買ったね」と声を掛けますと、嬉しそうに「はい」と笑い返してくれました。ついでにテントの前を通る時「大繁盛ですね」と声を掛けておきました(余計なお世話か…)。

  会場には立派な能舞台(左写上から4枚目)があるのですが、私は先ほどバスの窓から見えた紅白の幕を張り巡らせた小さな祠(神主さんや地元の方々がお祭りをしていた)に一直線。そこは「紅葉稲荷」でした。なんと、ここでは鬼女とお稲荷さんを一緒にしてしまっているわけです。

  残念ながら祝詞は終わっていましたが獅子舞の奉納が始まりました。青いビニールシートが手際よく敷かれ、地元の有志・三組連によるお神楽が始まります。獅子頭を被る年輩の方はなぜかワイシャツにネクタイ姿(左写真下の2枚)。ちょっと舞が女性っぽくシナシナしていますが、いい雰囲気でした。
 奉納が終わると「御神酒=おみき」が振る舞われ、「御供(おそなえ=中身は紅白の落雁=らくがん=米粉や砂糖で作った菓子)」までいただいた。

 腹が減ったので会場に戻り食堂(キャンプ場の管理小屋)で蕎麦を注文。調理場には地元「柵=しがらみ」の主婦(こちらの勝手な想像です)が5〜6人もひしめいているのだが要領がイマイチ。しかし味には満足。向かいの席の老人に話しかけられたのですが何を言われているのか全くわからず…一瞬悩んだ結果、ここは日本人になりきり、笑って頷くことにしました。

  食堂を出て能舞台を鑑賞したり、振る舞いの樽酒(紙コップになみなみと注いでくれる)をいただいたり、餅つきを見たりいただいたりして(大根おろしを絡めた振る舞い餅はすごく美味しかった)会場をブラブラウロウロ。県内有志の会が能や謡曲を演じていましたが若い外国人が意外に多い。まだ日本語もろくに喋れない…らしいが、ものすごく一生懸命演じていて日本の文化をリスペクトしてくれている態度がひしひしと伝わってきます。

 やがて先程、紅葉稲荷に出演した獅子舞が登場。じつはこの獅子頭が納まっている手作り風の神輿がエラク気に入ってしまったのです。思わず写真を撮りながら舞台の手前まで付いていく。舞の内容は全く同じでした。


 次にメインゲスト・和太鼓の佐藤健作氏が登場。超人的なテクニックに感心して見ていると、やがてお弟子さんらしき5〜6人がバックに並ぶ。よくあるナントカ太鼓のパターンだ。しかし、私はビックリした。バスで一緒の派手派手熟女トリオがそこに…。あの超茶髪は遠目でも間違いようがありません。車内で感じていた「違和感」の謎が解けました。

 …などと時間を潰しているうちにようやく集合時間に。地元の案内役の周囲に20数名が集まる。もちろん学生風お嬢さん二人も「待ってました」といった風情で積極的に前列に陣取っている。「お年の方もいらっしゃいますから、ゆっくり行きましょう」といいつつスタスタと歩き始める案内の方に付いていく。 路は草もよく刈られており、比較的なだらかなのですが結構息が上がる。これは振る舞い酒のせいですね。途中、紅葉にゆかりある(といわれる)奇岩や沢などを見ながら、登りっぱなしで約30分。ようやく恋いこがれた岩屋に到着しました。

 断崖の下にぽっかりと二つの口が開いており、向かって右は比較的浅く、祠が祀られて多くの木碑が立っている。左の穴は、入口は狭いが奥行きは14.4メートル高さ5.4メートもあり、奥には水も流れていたといいます。鬼の場合はわかりませんが人間なら数人は住めそうです。
帰りはバラバラに戻ることになり、私は写真を撮るため最後尾から皆を追うかたちになりました。



 この日の夕方には戸隠に出る予定にしていました。端戸信騎先生の「鬼女紅葉伝説」に関する講演を聞くためです。遊行塾の宮坂さんは「会場に行けば知っている人に会えますから、その人に乗せてもらって戸隠まで来たらいいでしょう」などとのんきなことを言っていたが案の定そううまくはいきません。
 結局戸隠遊行塾関係の知人には会えず。バスガイドさんに聞くと、長野から戸隠行きの便はまだあるはずということでしたので帰りもバスに乗ることにしました。

 戸隠の中社公会堂に着く頃にはすっかり暗くなり、冷え込みもかなりキツくなってきました。まだ講演の1時間も前なので会場も真っ暗。さぁて…と思っていたら遊行塾のメンバー・山口さんを発見。彼は中社公会堂横の蕎麦屋・山口屋の若旦那なのだが、戸隠流忍法(この場合は「とがくれりゅう」といいます)の修行者でもある。忍法といっても武術に近いものらしい。
「お店まだやってます?」「あっ、来てくれたんですか、もちろん大丈夫ですよ」ということで天ぷらソバを注文。講義を聴きたいので酒はぐっと我慢です。

 早めに会場に入り着替えさせていただき「さて、何か手伝いましょう」といいつつ、本などを眺めているうち(いつも会場で講義関連の本を販売)またまた2冊ほど購入してしまいました。そのうち端戸先生がお見えになり、紹介されて先生の著書もいただく。青木さんからは前回参加できなかった講演の資料をいただき、リュックの中は宝物で一杯になった。
  講演内容は「伝説の出来る過程…つまり、伝説は現在でも形成され変化しつつある」ということで、最後には「ここ戸隠でも鬼女伝説を積極的に取り込もう」などという決起集会ムードとなり盛り上がりを見せました。
  ちなみに戸隠には紅葉の一番の手下だった怪力「お万」の墓があり「足神さん」とよばれて地元では大変親しまれています(左写真)。

 講演も終わり、すでに20時を過ぎているにもかかわらず関係者は誰も帰ろうとしない。それどころか「食事に行きましょうよ」と誘われます。東京行きの新幹線は21時頃が最終なのに…。で、結局食事にお付き合いすることに決めました。…というよりヤケクソ。
  しかし事情を知った皆さんが作戦を練ってくださり、民宿を経営する吉井さん(戸隠における野鳥観察の第一人者)の宿に素泊まりし、早朝6時に山口さんが迎えに来てくださることになった。その後は皆で盛り上がったのはいうまでもありませんが、10月21日の戸隠の夜は吐く息も白く、冬への入口にさしかかっていました。

 翌朝、霜で真っ白になった山口さんの車に送られ、谷間をびっしりと埋め尽くす霧を見ながら下山。冬には戸隠遊行塾のメンバーで高尾山に学習に来てくださるという。案内役を約して電車に乗り込む。御供の落雁(下写真左)をいただき、前日東京駅で買った焼きたらこのおにぎりを食べ(蕎麦ばかり食べていたので残ってしまった)ひと寝入り。過酷な仕事の待つオフィスへ向かいました。
  便利過ぎる時代を嘆きつつ…オフィス着は8:30。鬼女に関する考察論は近々に書く…予定です。


 

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