『TAKAO(京王電鉄広報部発行の情報誌)』掲載小論集
第一話「蛸杉と杉の木のふしぎ」


('07年4月発行「春号」) 

蛸杉。1号路で最初に目に付く杉です。
よく観光客がタコの頭の部分を撫でるのでツルツルと光って、まるで蛸入道のような風格です。最近この坊主頭の上に乗る人が増えたせいか、網の柵が付けられてしまいました。ここからさらに上がると天狗の腰掛け杉が聳(そび)えています。

 高尾山には飯盛杉、天狗の腰掛杉、江川杉など、名のある杉が多くあります。その中でも親しまれているのが1号路の「蛸杉(左写真)」でしょう。「開運杉」ともよばれ、お詣りする人もいるほどです。

 この杉にまつわる伝説をざっとお話しますと…
 室町時代の足利義満が将軍だった頃、立派なお坊さまが京の都から来られるということで、お山の天狗たちは大慌てで参道を整備しました。このお坊さまとは薬王院を立派に再興された俊源大徳といわれています。
 ところが大きく根を張った杉の木が邪魔をしているので彼らは「明日はこの木を切ってしまおう」と話をまとめて引きあげます。それを聞いていた杉の木は「それはたまらん」とその夜のうちに自ら根をクルクルと蛸の足のように巻いてしまった。
 …という次第です。

 ところで、蛸杉にはほかの由来もあります。この杉の根は垂れ下がっていたといいます。俊源大徳が入山したとき、根がタコの足のように大徳の身体に巻き付き、山の上に引き上げようとしました。しかし、いつまでもこんな状態では不便であろうということで、大徳が行を終えた後でお経を唱えると、杉はクルクルと根を巻いて道が開けたということです。それで「開運杉」とよばれるようになったということです。

 つまり、根を巻いたきっかけは天狗の呟き説と、大徳のお経説があるわけですが、いずれにせよ、これは今から630年ほど前のお話です。ところが高尾山の杉の樹齢は最も古い飯盛杉でも500歳前後といわれていますので、推定450歳の蛸杉はその頃には影も形もなかったことになってしまいます。
  実際の樹齢は切ってみないとわからないのですが、お寺ではなるべく古く思われたいので蛸杉の樹齢を700歳前後といっているようです。そうしないと話のつじつまが合わなくなってしまうからかも知れません。

 しかし、もちろん伝説=史実ではありませんからここで理屈をこねてもしかたありません。
  それではなぜ蛸杉が伝説になったかと申しますと、蛸杉とは写真をご覧のとおり大変不思議な形をした大木だからです。
  自然を畏(おそ)れ崇拝していた昔の人は、特に変わった樹形の大木は大切にしました。山で生活している人ばかりか、海上で漁をしている人にとっても大木や変わった形の木は目印になります。ですから山の上から降りてくる神様も、海の彼方からやってくる神様も、それを目指して来られると信じていました。さらに大木には生命が宿っていて神様が降りるばかりか、神様そのものと感じていました。一種の樹霊信仰というもので、これを神社などではご神木とよんだりしています。
  ですからご神木には天狗や仙人もよく腰掛けます。天女や貴人などがその下で休んだり、衣を掛けたりもします。武将や貴人が馬を繋いだりもします…というより、そういう伝説が生まれやすいのです。

 南北朝を舞台にした軍記『太平記』には、京都仁和寺の六本杉の梢(こずえ)で天狗たちが足利幕府転覆のクーデター計画を練ったという話が載っています。大木に宿る神様や天狗などは、高い所からいつも私たち人間を監視したり見守っているということなのでしょう。

蛸杉の下では11月に某水産会社が「蛸供養」をとり行っています。シャレのようですが、言霊(ことだま)を大切にする日本人の、古くて新しい民間信仰の一つのかたちですね。(写真提供:横山一夫)

 さて蛸杉に話を戻しますと、この木はその姿や樹齢からもご神木にふさわしいからこそ伝説を生み、お願いをすると霊験あらたかだという信仰が生まれたのです。
 登りと下りの二回お詣りすると、さらによいともいわれました。昔はお寺に泊まりがけでお籠もりする人も多かったようです。ですから二日続けてお詣りすることになります。

  最近も蛸杉の下の「蛸供養塔」の近くに「開運蛸杉」の石碑が奉納されたほどですから、蛸杉の人気は一向に衰えません。

 …次号はここに登場した天狗さまのお話をいたしましょう。

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