『かえで(高尾パークボランティア会報)』掲載小論集
「むささび伝説1,2」
No.195,197('07年10,12月号)

*この拙論は大幅に加筆して拙書『八百万のカミサマがついている!』に発表しています。

 ご存知、高尾VC発行の情報誌名は「のぶすま」です。岡崎弘幸先生の『ムササビに会いたい!』によりますと、ムササビの古名や地域名は「野衾=のぶすま」「毛美、毛朱=もみ」「ばんどり=晩鳥」「もま=森魔か?」「むま」など他にも様々あるようです。また、享保年間(1716〜35)年頃に刊行された『近世世事談』には「ももんぐ」というよび名が一般的とあります。昔はリス科のムササビとモモンガとの区別はなかったのでしょう。
  大正時代には「もま」を、捕獲を禁じられていたムササビとは知らずに捕らえて罰せられたという高知地裁の判例があるほどですから、地域によってはムササビというよび名は一般的ではなかったのかも知れません。ちなみに似た名前で、江戸時代に書かれた『耳嚢』には「マミ」という妖怪が出てきますが、こちらはムジナのような普通の動物系らしく、空は飛ばないようです。

 天保12(1841)年、竹原春泉によって描かれた『絵本百物語(桃山人夜話)』によれば奥州でいう「のぶすま」とは年功を積んだコウモリが化けたもので、これがさらに年功を積むと「山地々、山地乳(やまちち)」または「さとりかい」とよばれる妖怪となるそうです。人の寝息をうかがい、その息を吸うが、これを第三者が目撃していれば吸われた人は長寿を保ち、目撃者がいなければ翌日その人の胸を叩くと必ず即死するといわれていましたが、この「山地々」のために長生きした人も、死んだ人も実際にはいなかったということです。
  絵を見る限りでは魔物にキスをされているようでちょっと不気味な感触です(左絵)。

 東北地方を中心に多くの伝説を残し、マタギの祖といわれる磐二・盤三郎兄弟の妖怪退治談にも巨大なムササビの化物が出てきます。空を駆けめぐり鳴き声を発するというその化物は、沢の奥の洞窟にに住んでいて、その中には人や獣の骨が散らばっていたということです。結局、兄弟に矢で射抜かれて退治されたムササビは、頭や身体が猫のようで巨大な翼を持っていたようです。
  また、正徳2(1712)年〜天明8(1788)年、鳥山石燕によって描かれた『画図百鬼夜行』によると、野衾はムササビのことで、蝙蝠に似て毛を生やし肉翼を持ち足は短く爪は長く、木の実や火焔を喰らう、とあります。昔は動物学上の実態が解明されていませんでしたし、ムササビは夜行性ですから、提灯や炬松(たいまつ)の心細い明かりを頼りに暗闇を行く昔の人にとっては恐ろしい獣と思われていたようです。

 ムササビが火焔を喰らうという俗信はすでに平安時代頃からあったらしく、承平年間(931〜938)に作られた辞書である『和名類聚抄』には「炬松(たいまつ)などの火や煙を喰い、鳴き声は小児が叫ぶようだ」と書いてあります。
  笹間良彦氏の『図説 日本未確認生物事典』によると、「森などを人が炬松を持って歩いていると、その縄張りを荒らされたくないという意識から物凄い早さで炬松を持っているところを飛翔して火を消してしまう。それでくすぶっている煙を食うと誤解されたのである。」と分析しています。


 ちなみに同書の「ももんがあ」の項に掲載されている挿し絵には『画図百鬼夜行』の中の「元興寺(がごぜ)」という妖怪の絵が使われています(左絵)。古寺の屋根から半身を突きだし今にも人間に飛び掛からんという状況は薬王院大本坊の屋根裏に住みついているムササビを連想させますが、あの愛らしい姿をした彼等にとっては、さぞ心外なことでしょう。(つづく)

 

 ムササビは「ももんがあ=ももんぐわあ」という妖怪とも考えられていました。モモンガとムササビは同一視されていたようですし、妖怪名が先か動物名が先かは判りませんが、今ではお気の毒にモモンガの方が妖怪名を引き継いでいるわけです。「ももんぐわあ」の「もも」は「もみ」の転語、「ぐわあ」は鳴き声をあらわしたものということです。大正時代頃までは羽織の背を顔が隠れるまでズリ上げたり着物をかぶって肘を張り、「ももんぐわあ!」と叫んで幼い子供を脅したり戯れたりしていたようです。「柳からももんぐわあと出る子かな」という一茶の句が残っています。

 平田篤胤の『仙境異聞』は江戸時代の後期、文政3(1820)年10月に山人(天狗)界から7年間に及ぶ霊界体験談を持ち帰ってきたという寅吉少年の話や問答などをまとめたものですが、篤胤の「山で過ごしていた時に、何か恐ろしい物を見た事は無いか?」という問いに答えて、寅吉少年はいくつかの体験談を語っています。
 その一部を現代語に要約しますと、
「師(山人)の使いで月夜の晩、山道を通っていると前方から風呂敷ほどの物がひらひらと飛んできた。4〜5メートルほど近づいたと見ると素速く顔に被さってきたので、あわてて顔に両手を当てた。鼬(いたち)ほどの大きさで鰭(ひれ)を持ち、節々に爪のあるものだが、それが顔を覆ってしがみ付いてきて硬く締め付け、息を止めようとしてきた。幸い顔に当てていた手を浮かして引き離し、打ち付けて難なく殺したが、その時無理に引き剥がしたので彼の爪で頭から顔のあたりまで引っかかれた。あれは何という物だろう非常に憎い奴だ」という。霊界や妖怪の存在を信じて疑わぬ篤胤は「それはノブスマだ」と即答し、その絵を寅吉少年に見せたところ、少年は「これに間違いない」と答えています。

 その絵がどのようなものだったのか判りませんが、時代的には前出、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』だった可能性もあります(左絵)。
 しかし柳田圀男は『妖怪談義』の中でノブスマを「山の妖怪」ではなく「里の妖怪」に分類していますからノブスマは案外、深山より人里に近いところに出没していたということになります。もちろん人がいなければ妖怪も出番がないということでしょう。

 現在は我が高尾山でも天狗に並ぶアイドルとなって観察会まで組まれるほどの人気者が、つい最近まで化物視されていたのですね。今ではムササビもモモンガも、その生態解明は自然保護活動ともリンクされ、彼等の冤罪もすっかり晴れました。しかしこうして彼等の伝説をひもといてみますと、果たして「化け物時代」の彼等と「アイドル時代」の彼等は、どちらが幸せだったのか、ちょっと考えさせられてしまいました。もはや人間に警告を発する霊力を失ってしまったのですね。

 以下は余談ですが十年程前に亡くなった私の義兄は少年の頃、山梨の田舎に住んでいました。兄弟が多かったためにいつも腹をすかしていて自分達で食料を調達しなければならない時も度々だったそうです。とにかく蛇でも蛙でも、口に入るものは何でも食べたらしいのですが、ある時ムササビを捕獲して鍋にしてしまったのです。しかし予想に反して泡が鍋から溢れるほどアクが強い上、食べられる部分はほとんど無かったということです。腹ペコの子供たちは、さぞガッカリしたことでしょうが…飢えた子供の食欲は化け物より強し…グリーン××スに知れたら大砲をブチ込まれそうな話ですが、もう時効でしょう。(おわり)

 

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