『かえで(高尾パークボランティア会報)』掲載小論集
「大野屋奇譚」
No.190('07年5月号)

*この文を書いた翌年、当話の主人公が亡くなってしまいました。慎んでお悔やみを申しあげます。

 お馴染み、高尾山口駅から甲州街道を渡ったほぼ正面にある「大野屋」のお話。
 昔から「第二のVC(注1)」と呼ばれるほどのボラ(注2)御用達店である理由は、イベントの前日に荷物を置かせてもらっていた、などの便宜を図ってくれた時期もあったらしいが、とにかく「安い」からだろう。
 しかし…決して不潔という意味ではないが…山小屋的感覚を全く知らない都会育ちの女性などには、おそらく座るのもはばかるほど、店内は雑然としている。
 私は入会してすぐに、いつも会員の噂に出るこの店を知り、ワクワクしながら先輩に付いていった。それは四年ほど前のことだが、今でも当時と店内の状況は全く変わっていない。薬王院の天狗団扇や積みあげた雑誌などの位置、お世辞にもレトロムードとは程遠いガタピシな丸椅子とひび割れたデコラ製食堂テーブル、リュックを置く以外に使われたことのない座敷席、薄暗いトイレなどなど…。

 二年ほど前のこと、ボラ会屈指の毒舌家で超人的情報収集能力を持つH氏が「おいっ、ぞえ(私のこと)。ついに大野屋のラーメンに当たりが出たらしいぞ!」。当たりの賞品とはゴキくんのことで、当選者はうちのボラ会員。しかも女性だったと記憶している。
 ところがそれを聞いた皆の反応は淡々としたもので「へぇ〜、やっぱりねぇ〜」という程度。一向に足が遠のく気配はなかった。
 上記のごとくで免疫のない都会人にとって、注文するには多少の勇気がいるのだが、大野屋のラーメンファンは多い。ほかにも自然薯を使った「とろろそば」や「とろろめし」も結構イケるらしいが、私も都会育ちなので未体験だ。
 だいぶ営業妨害みたいな話になってしまったが、じつはすごく良心的な店である。一杯のビールとサービスの漬け物や梅干し(これもかなり旨くて人気がある)だけで、どんなに居座っても嫌な顔ひとつされない。…まあ、正直言って一杯で終わることはまずありえないのだが…。

 ラッキーな日には土産まで持たせてくれる。自家製や地元産と思われるトマト、クリ、ソバ粉などなど…。すっかり上機嫌で帰宅し、ふとポケットを探るとキュウリが入っている日もあった。昨年暮れには、店の裏庭で採れたという小粒の柚子を数個いただき、正月のお飾りや雑煮に使用させてもらった。

 裏庭といえば、これもH氏情報だが数年前まで残飯目当てのイノシシ親子やタヌキが出没していたらしい。それほど裏庭まで山が迫っているということだ。
 しかし、考えてみれば、いくらお洒落に飾り立てようが、深夜にドブネズミが徘徊するような都会の飲食店より、はるかにマシかも知れない。

 そんな大野屋が「高尾山の冬そばキャンペーン」のポスターやチラシに載るようになってからの一番の変化は、いつも薄汚れた前掛け(特にせり出した腹の部分が煮しめ色になっていた)をしていた息子さん(弟とも甥ともいう説があった)が、明るいチロリアン風のセーターを着るようになったことか…。ボラの一人が、からかい半分に質問していたが、やはりお袋さん(姉か叔母さん)に買ってもらったらしい。この店は地元ムードたっぷりの年輩夫婦が商売っ気ゼロで営業しているのだ。だから無断閉店の日も多い。
 先日、ボラ会の連中とはぐれ、ひょっとして…と覗いてみたら予想に違わず、すでに二人ほどの仲間が始めていた。その日は我々オヤジ連中の他に親子連れや若い女性客もいたのでなんとなく店が明るい。いつも通り粛々と(?)やっていたら「おぉやっぱりいたね」と、またまた数名顔を覗かせた。
 高尾には、これが目的で来るわけじゃないのだが、夕方になるとなぜか主客転倒になってしまう日が多い。

(注1)VC=高尾山の山頂にあるビジターセンターのことで、高尾パークボランティア会や東京都レンジャー、サブレンジャーの活動基点となっている。
(注2)ボラ=高尾パークボランティア会の会員を自分たちでよぶときによく使う言葉。相対的に高尾ボラという時もある。会員は東京都に登録されており、東京都多摩環境事務所(通称タマカン)の下に属する。

京王電鉄のキャンペーンちらし。右列上から3番目が大野屋のとろろそば。中を開くとマップや店の写真も紹介されている。

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