『かえで(高尾パークボランティア会報)』掲載小論集
「飯縄大権現の乗る狐の正体」
No.168('05年7月号)

*この拙論は大幅に加筆して拙書『スキャンダラスな神々』に発表しています。

高尾山・有喜苑・仏舎利塔の前に立つ飯縄大権現像の狐のしっぽ&後脚。本来、指は下に向くはずだが、何とも言えぬ愛嬌がある。

 左写真は高尾山仏舎利塔前に立つ飯縄大権現が乗る狐の尻尾である。飯縄大権現の像はさまざまあるが、狐の尻尾がこのような角度から見られるケースは希で、グーをしている後ろ足と巨大な擂粉木風の尻尾が何とも可愛らしい。蛇足ながら、擂粉木とは僧侶を罵っていう語でもあったらしい。いずれにせよ、このお山ではあまり口にせぬ方が良いかも知れない。

 狐といえばお稲荷さんであるが、高尾山には稲荷社が4社ある。稲荷山の旭稲荷、蛇滝の福玉稲荷と蛇滝口の千代田稲荷、薬王院境内の福徳稲荷だが、他にも山麓や民家にも小祠がいくつかあるに違いない。薬王院の稲荷神は仏教系であるから狐に乗る女神・ダキニ天だ。この神は「未来を予知し望みを叶えてくれる神」として戦国〜江戸時代にかけて非常に人気があった。狐を眷属とすることから、やがて稲荷神と合体することになる。
 愛知県豊川市・曹洞宗妙厳寺の豊川稲荷の祀神はこのダキニ天である。高尾山の本尊・飯縄権現は五相合体神(五体の神で構成されている)であるが、このダキニ天はその最も主要な構成神の一つである。だから飯縄権現を稲荷権現という研究者もいるほどだ。よく稲荷社に奉納されている例の小さな白狐の焼き物はズバリ、ダキニ天の化身(眷属神=お使い)という説もある。
 ちなみに他の構成神は不動明王、歓喜天 、弁才天、宇賀神である。

 一方、神仏混淆前の稲荷神は(主に)稲束を背負った翁神で記紀に登場する食稲魂命(うかのみたま=倉稲魂命、宇迦御魂)である。この神は京都・伏見稲荷大社に祀られている。で、食稲魂命の眷属までもが狐とされたのは、もともと日本や中国には古くから狐を神聖視する下地があったからで、神仏混淆後、ダキニ天の影響を受けたのであろう。
  後に食稲魂命は、やはりダキニ天と同郷・インドの神である宇賀神や、その妻ともいわれる弁才天(眷属は共に白蛇)とも同一視されるようになる。ウカとウガの音が似ているからである。シャレではなく日本人は言霊を信じていたからだ(インドの大黒神が読み方の共通する大国主命と同一視されるようになったのと同じである)。
  つまり稲荷神は記紀神話系と仏教系の2つのルーツを持ち合わせた神なのだ。したがって飯縄大権現はダキニ天であり稲荷神であり宇賀神・弁才天でもある。

 ところで、なぜ日本人が狐を神聖視したかというと、1農耕民だった我々は、春になると山から里へ下りてくる狐を「田の神(ご先祖さま)」の使いと考えた、2その毛色(黄)から土の精と考えた(陰陽五行思想)、3稲の天敵である鼠を駆除する、4狐には予知能力があると信じられていた(現代でもカラスが鳴くと不吉だ、などという)、などの理由が考えられる。

「野干=ジャッカル」。この図は後頭部に角が生えた状態を示したもの。非常に頭が良く狡猾だという(南方熊楠「十二支考・虎に関する史話と伝説」『民俗』)より。

 さて、本題だが、誰もが疑いを挟む余地のないダキニ天や飯縄権現が乗っているこの白狐(「かえで5月号」参照)、じつはもともとは狐ではなかった!
 では何かというと「野干(やかん)」または「射干(しゃかん)」と音表記された動物で、アラブ語やペルシャ語で「シャガール」「シガル」「シャガーラ」、フランス語やロシア語では「シャカル」、つまりイヌ科食肉目の「ジャッカル」である。非常に頭が良く、狡猾だということだ。
  日本や中国にはいない。狼やコヨーテに似ていて狐より小さく、木登りが得意といわれる。この動物が中国では狐に当てはめられ、それがそのまま日本に伝わり「野干」=「狐の異名(または狐に似た動物)」と考えられるようになった。

 インドのダキニ天(ダーキーニ)はかつて尸陀林(しだりん=城外の死体捨て場、刑場でもあった)に棲み、妖術のパワーを得るため生きた人の心臓や脳などを喰らい、邪悪な視線をもって子供を衰弱死させたりもする女夜叉だったから、やはり尸陀林をうろつき、人肉(屍肉)をあさるといわれたジャッカルとはもともとお仲間だったのである。

 やがてダーキーニは同じく元極悪夜叉だった大黒天(大日如来の権化)に降伏し、仏教の軍門に降った。その後のダーキーニは仏教界で閻魔天の一族に組み入れられる。ここで初めて同じ閻魔一族だった野干を駆使して通力自在の神となるわけだが、生きた人肉のかわりに人の死を六ヶ月前に予知し、死ぬと同時にその人の心臓を取って喰らうことを許される。つまり大日如来の命により、多少新鮮味に欠けるもので我慢することを強いられたのだ。

 だから、ダキニ天が未来を予知し望みを叶えてくれる神となったのは、出来る限り早く人の死を予知して新鮮な人肉を喰らわんがためだった。
  この神の予知能力を借りるための術が密教の修法の一つである「ダキニ天法」なのだが、若き頃の平清盛、政権奪回を目指す後醍醐帝もこの法を修したといわれる。この法の変形が悪名高き「立川流」だ。飯縄権現出生の地、北信飯綱山から出たといわれる妖術「飯縄の法」も、もともとは「ダキニ天法」である。
  ただし「飯縄の法」では狐と多少ニュアンスの異なる「クダ狐」という霊獣を使役する。また、天狗の力を利用したという「愛宕の法」の影響も受けたという(飯綱山には飯縄三郎坊天狗がいた)。
  しかし、これらは邪法として禁じられたため、やがてダキニ天は大衆のニーズに合わせ、福徳神としての性格を前面に出すに至った。そして江戸時代には武門から町人に至るまで「お稲荷さん」人気が大ブレイクし、今尚続いている。
  しかし、皆が油揚げを供える「神のお使い姫」が、じつはインドではジャッカルだったことを知る人はあまりいないのではなかろうか。

 

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