『唐沢だより』に寄せた小論(加筆)
「諏訪大社の御柱(本宮建御柱祭)を見て」

 5月3、4日と「初風呂を楽しむ会」に参加させていただきました。「唐沢・山の会」会員の皆様や唐沢鉱泉の方々に暖かく迎えていただき、とても楽しく有意義な時間を過ごしました。心よりお礼を申し上げます。

 3日は下諏訪・春宮近くの「万治の石仏」を見に行きました。噂に違わぬ素朴な迫力に感動でしたが、春宮から秋宮に向かう途中に点在する大小寺社の境内などで見かけた石仏たちを見て、この地に保存されている「原初的な信仰」や「修験による神仏混淆」の足跡に触れることができました。下の写真は「神道のシンボルである注連縄の奥に祀られた仏神の不動明王」や「祈念目的や講中により、様々な名称を付けられた不動明王たち」です。

  中でも子孫繁栄を願って奉納された陰陽石や金精様(道祖神)は、翌日に見聞する予定の「建御柱」の祭事を連想させ高揚を覚えたものです(下写真)。
 このようなことを申しますと「川副は祭や神事をすぐアチラに結びつける」と周囲からお叱り半分にからかわれるのですが、それは正しくない反応です。地球上の生きとし生ける物は「子孫を残す為に自然の中で生かされているのだ」という真摯な気持ちを忘れてしまった方々の発言であります。これを不遜であり口に出してはならないこととされたのは明治以降、西欧の道徳観が入ってきてからのことです。もともと気候に恵まれている日本庶民の願い事はおおむね「何事もない平穏無事な生活が一番」であり、つまるところは「生活・天候の安定→五穀豊穣=子孫繁栄→除災除厄」だったわけです。陰陽石や金精様はその願いの現れなのです。

  この観点から御柱祭を眺めてみますと、私見ではありますがいくつかの点に気づきましたのでご報告いたします。

御柱と山の神の関係 祭の間、絶え間なく歌われる「木遣(きやり)」を聞いておりますと度々「♪山の神様お願いだ〜」と叫んでいます。地域や信仰、職業によって山の神は「大山津見神(おおやまつみのかみ=大自然)」「木花開耶姫(このはなのさくやひめ=桜花に例えられるが、むしろ火山)」「天狗(修験道における山の護神)」「狼(害獣駆除)」「熊」「猿」「鹿」「猪」「蛇」などと見なされています。前の二神は記紀に記載された神であり、天狗は山に棲む鬼神、あとは山に棲み畏怖の対象となってきた動物たちです。
  それぞれ山の神とされる理由はありますが、原初的信仰面から見ますと本来は様々な恵み、つまり動植物食物・生活資源・水などを与えてくれる「豊穣の神=地母神」つまり女神であるケースが多いようです。ここから山の神を後世に木花之開耶姫に付会し、さらに女房殿を「山の神」と呼びます。
 下は左から「富士山に立つ木花開耶姫を麓で猿が拝んでいるお札」「南方熊楠の書簡に描かれた狼型の山の神」「下諏訪の民家の玄関脇に添えられた山神への供え物である弓矢」。

  地域にもよりますが猟師(山の民)の世界では狩の成功を祈るため「オコゼ」を懐中して山に入ります。ひとくちにオコゼといっても地方によってオニオコゼ、オニダルマオコゼ、淡水に棲むカジカなどを指しますが、共通しているのは頭や口が大きくて一般人の美意識からすると美形とはいえません。これは醜い魚の顔を見せる事によって女神に優越感を与えるためという説もありますが、それはキレイゴトに置き換えた話で実際は女神が見たがる男根の代わりである、とするのが定説です。猟師が懐からオコゼをちらりと見せて「もっと見たければ我に獲物を与え給え」と女神の気持ちを煽るのです。獲物が捕れるとさらにもう少し見せますが最終的に全体像を見せる事はありません。このような民俗から女神の妬みを買わぬよう神の領域に女性が立ち入る事を忌みますが、逆に山中で男性が「立ち小便」や「自慰」をすると女神は悦ぶといわれていたそうです。もともと山の神は鉄砲や硝煙の臭いを激しく嫌うので、山神の機嫌を損なわぬよう狩の作法から山中の会話に至るまで細心の注意を払うのです。
 しかし南方熊楠の論文『山神オコゼ魚を好むということ』では紀伊地方の山神はオオカミ(上写真の中)で、海辺で見かけたオコゼ姫に恋をすることになっています。つまり山の神は必ずしも女神とは限らないようです。下は川島草堂画の「川オコゼ(カジカ)」です。

 さて、誰もが「ひょっとしたらそうかも知れないけれど…まさか」と思われているのではないでしょうか。結論を申せば御柱は男神の象徴であり、それを突き立てる大地の穴は女神の象徴なのです。建御柱祭で周囲が大いに囃したてる絶頂感の中で御柱が徐々に立ち上がる光景は、まさに男女神の交合であり五穀豊穣の祈りそのものなのです。御柱を神の依代(よりしろ)とか、鎮守の森に見立てているとか、四方鎮護などと品良く解釈したのは近世のことだと思われます。なぜなら神が降臨する大木(神木)は境内にいくらでもありますし、同じ長野県内でも御柱を1本か2本しか立てないところも珍しくありません。

  縄文時代から祭場(斎場)に棒状または男根型の石や木を立てていた事は考古学では一般によく知られていることです。それは日本に限ったことではありません。

現代の御柱祭 古文書からも中世以前から御柱祭が行なわれていたことは明らかですが、これには莫大な費用がかかる事はご存知の通りです。しかし諏訪大社のように各社四本ずつの御柱を立てるという決まり事が当初からあったかどうかは疑問です。私の知る戸隠地方の小さな村の諏訪神社では大社に比べると、ほんのささやかな御柱をたった一本しか立てません。今年は村で唯一還暦を迎えた男性が一生一度の大盤振舞として寄進されたそうですが、残りの費用は村人それぞれがそれぞれの収入に応じて出し合ったということです。
  一方、諏訪地方には大きな権力を持つ支配者たちがおり、それなりの郷数と氏子が揃っていたからこそ計十六本もの大柱を立てる事が出来たという訳です。当初は権力者達がその象徴として御柱を建てたのでしょう。
 しかし今日、4日の建御柱を見て、祭の主役は巨木でも山の神でもなく一般庶民であることを知りました。そしこの祭りは各地域の人々の縦横の堅い繋がりの結晶であり、凝縮された気合いの昇華であるように感じました。巨木を神に仕上げているのは神官でも権力者でもなく、土地の老若男女でした。「人々の様々な願い」を木遣歌に託し、そのを華やかな楽団や人々の掛声で巨木に念じ込めていました。多くの人々の熱い想いが何層にもプレスされいる巨大な棒、それが御柱であることを知った一日でした。

縄と宇賀神 現地で実見しなければわからなかったことがあります。これは私にとって非常に大きな収穫でした。それは所々の家の玄関前や、駅のプラットホームなど人の集まる場所に誇らしげに巻いてある縄です。私の目には「宇賀神(うがじん)」に見えます。これと同じようなものは漁村でも見かけることがあります。漁師は縁起を担ぐ意味を含めて舟を繋ぐロープを「宇賀神のように巻く」というそうです。
  宇賀神とは神道的解釈ではのことで穀物・食物を司る神(稲荷と同神)でもありますが、神仏習合的には水と富を司る弁財天でもあります。しかしその実体はとぐろを巻いた「蛇」なのです。いずれにせよ、縄そのものまでが、ここではありがたい神様でした。

  宇賀神の話は長くなってしまいますのでまたの機会とさせていただきますが、下の写真をご覧いただけば縄と宇賀神の相似は明らかでしょう。

 また皆様とお会いする日を楽しみにしております。ありがとうございました。


HOME  NEXT  BACK  MAIL