『そのほか必要に応じて書いた』小論集
「中学生からの質問(天狗と伝説について)に答える」
('07年11月)

学校の総合学習でのテーマを「高尾山の伝説」に決めたという八王子市由井中学校の一年生(女子)から高尾ビジターセンターに私宛のファックスが入りました。
紙面によると「色々な資料で川副様が伝説について詳しいことを知りました」ということでした。

質問の内容は
「天狗は良いイメージの伝説が多いですが、悪い天狗の伝説はあるのですか」
「天狗の容姿を細かく教えてください」
「天狗伝説の起源はいつ頃ですか」
「伝説はどのようにして語り継がれてきたのですか」
などです。
若い人が日本の歴史や民俗学に興味を持ってくれることこそ、我々日本人が失いつつある人間性、モラルの向上、地に足のついた対人・国際感覚(国や民俗、しいては家族を大切にする心に基づく他人や他国への尊念)の向上につながると常々考えている私にとって、彼女の質問に答えることは、まさに待ち望んでいたことでした。
まる一日かけて書いた回答文(抜粋。加筆もあります)は以下の通りです。
*彼女への回答文に写真は掲載していません。


○○さま
 高尾パークボランティア会の川副です。 
ファックスを拝見しました。○○さんが『高尾山の伝説』について学習されていることを知ってとても嬉しく思います。

 ただ、伝説や言い伝え(これを研究する学問を「民俗学」といいます)については「これが正しい答えです」というものはありません。ですから、私の回答が必ずしも「正解」というわけではありませんが、私の知っている範囲内でお答えします。
もし、私の答えに疑問を持ったり、それ以上知りたいと思ってくれれば、その時から○○さんは立派な民俗学者の卵というわけです。
それぞれの質問については、みんな関連がありますから、なかなか一言では答えられません。ですから、ちょっと長くなりますが下の文章を参考にして○○さん自身が答えを出してください。

天狗の住んでいる場所は山の中です。これは重要なことですから後で詳しくお話しします。
昔から天狗は山の中に住む妖怪と神様の中間的存在「鬼神(きしん)」と考えられていました。昔の人は天狗に対して決して良いイメージをもっていませんでした。皆、天狗をとても恐れていましたから、むしろ悪いイメージを持っていました。

じつは、江戸時代から昭和の初め頃まで、人をさらったり火事を起こすのは天狗の仕業(しわざ)と考えられていたのです。それどころか天狗を怒らせると命を奪(うば)われることもあったのです。

日本で初めて登場した天狗の正体は流星でした。空を流れる時に大きな音がしたそうです。これは今から1370年ほど前、聖徳太子の頃のお話しです。

やがて平安時代から鎌倉時代にかけて(今から1200〜1000年ほど前)の天狗はトビやノスリなど(タカやワシなどのような肉食の鳥の一種)が化けた妖怪で、お坊さまの修行の邪魔をしたり政府に反逆をしかけたりする妖怪でした。とても立派な人が権力争いに敗れ、悔しい思いを残したまま亡くなると、その恨みが残って天狗になる場合もありました。ですから天狗はいつも人を困らせるのが好きだったのです。

やがて江戸時代になると世の中は平和になり、都市の人々が一番恐れるものは火事になりました。天狗は羽団扇(はうちわ)で火を自由に操(あやつ)れるとも思われていましたから人々は天狗を祀(まつ)って火事を起こさないようにお願いするようになりました。それで高尾山の天狗も人々から祀られるようになったのです。他にも各地に天狗が祀られている山がありますが、その多くは江戸時代に火事を防ぐ神様として祀られていたのです。
じつは高尾山のご本尊「飯縄大権現(いづなだいごんげん)」も、もともとは長野県飯綱山の飯綱三郎坊(いづなさぶろぼう)とよばれた日本で三番目に力のある天狗だったのです。

ではなぜ山に天狗がいるのかお話ししましょう。

日本人は昔から山を神聖なものと考えていました。なぜなら人が死ぬとその魂(たましい)は山に行って「ご先祖様」になると考えられていたからです。そして春になると山から下りてきて作物が稔(みの)るのをを助けてくれるのです。それが「お正月様」「田の神」などとよばれる神様です。お正月にみんなでお祝いしたり、春に豊作を祈ってお祭りをするのもこの神様(つまりご先祖様)に喜んでいただくためです。

もう一つ山が神聖なものと考えられてきた理由があります。稲を栽培して暮らしていた日本人(農耕民族)にとって、山から流れてくる水はとても大切なものでした。川の水は、山の森林がいったん雨を地中に貯(た)めてからゆっくり時間をかけて地上に湧(わ)き出してきたものなのです。ですから川の水はめったに枯れませんし、逆に森のない場所に一度に多くの雨が降ると洪水になってしまいます。
ですから、いつもちょうど良い量の水を与えてくれるよう人々は山に祈っていたのです。また猟師さんにとっても山は獲物などの恵みを与えてくれますし、海で働く漁師さんにとっても目印の山が無ければ漁場(魚がたくさん獲れる場所)を探せないどころか、自分の港へも帰れませんでした。木材や燃料も山の恵みです。つまり日本人にとって山は生活の糧(かて)であり、神様が住む場所であり、山そのものが神様だったのです。

だからこそ、山の中には恐ろしい妖怪も棲んでいると思われていました。レジャーで山に登るなんていうことは考えもしなかったのです。実際に山の中では町では考えられないような不思議な現象がよく起きます。誰もいないのに急に大きな音がしたり、光が見えたりするらしいのです。山の中に入ったまま帰ってこなくなった人達もいたことでしょう。それらは山の妖怪といわれる「山姥(やまんば)」「山男」や「天狗」の仕業だと考えられていました。

そのようにな神聖で恐ろしい山の中で自分を鍛(きた)えるため、また普通の人にはない力を得るために修行する人達がいました。それが修験者(しゅげんしゃ)、山伏(やまぶし)とよばれる人達です。彼らが厳(きび)しい修行に耐えた後に人里に降りてきた姿をみて人々は「天狗が山から下りてきた」と思ったことでしょう。修験者は里の人達の願いをお祈りで叶(かな)えたり、病気を治したりしました。ちゃんと修行を積んだ人のお祈りには効き目があったのです。また、修験者は薬草にも詳しかったのです。
ですから天狗のような修験者に助けられた人達は天狗を立派な神様だと思うようになり、だんだん天狗の悪いイメージが忘れられ、良いイメージが残ってきたのだと思います。そのようにして、やがて天狗は修験者や山の自然を守る神様だと思われるようになりました。

この修験者達が修行した山は全国にあります。ですから天狗の伝説も全国にあります。その一つが高尾山です。ですから高尾山には天狗がいるのです。

天狗についての話は奈良時代の「今昔物語(こんじゃくものがたり)」や室町時代の「太平記(たいへいき)」などに出ています。江戸時代に平田篤胤(ひらたあつたね)によって書かれた「仙境異聞(せんきょういぶん)」には天狗の世界から帰ってきた少年の体験談が書かれています。これらの本はまだ○○さんには難しいかもしれませんが、明治時代に柳田国男によって書かれた「遠野物語(とおのものがたり)」の口語訳(こうごやく=わかりやすい言葉に書き直したもの)なら読めると思います。ここにも恐ろしい天狗の話がいくつか載(の)っています。

天狗伝説の多くは「山中で天狗に会った男が驚いて逃げ帰った話」「天狗と相撲を取って投げ飛ばされた話」「天狗に反抗して大きな木のてっぺんに吊された話」「天狗に珍しい世界を見せてもらった話」などですが、時には天狗に恨まれて手足をバラバラにされて殺されてしまった人の話などもあります。特に「天狗なんているものか」と言った人はほとんど重い罰を受けています。

また、中国から飛んできた「是害坊(ぜがいぼう。左写真)」という天狗が日本の天狗と組んで仏教が広まるのを邪魔しようとするのですが、偉いお坊さまの力でさんざんな目にあって中国に逃げ帰るという有名な話がありました。これは仏教がいかにすぐれているかということを示すためのお寺の宣伝「説話(せつわ)」でもありました。つまり、天狗がお寺の宣伝に利用されていた時代もあったわけです。

昭和の時代に「鞍馬天狗」という映画やテレビのヒーローが正義の味方として登場しました。その時から天狗の人気は急上昇し、一気に良いイメージになりました。つまり天狗が良いイメージになったのは、つい最近のことなのです。

天狗の容姿には主に二つのタイプがあります。

有名なのは鼻が高くて赤い顔をした「鼻高天狗(大天狗)」です。室町(むろまち)時代(今から500年ほど前)の絵師(画家)によって描かれたのが最初です。
一般には羽団扇を持ち、修験者の格好(*)をして一本歯の下駄を履いています。一本歯の下駄は山道に適しているということです。ただし、高尾山の天狗は裸足(はだし)です。
背中には翼(つばさ)がありますが、これは昔、トビなどの鳥の妖怪だった名残(なごり)です。お坊さまの衣装を着た天狗もいます。

古いタイプの天狗には嘴(くちばし)が付いています。やはり修験者の格好をしているのが一般的ですが、こちらは青または緑色の顔をしています。鼻高天狗より鳥に近い顔をしていますので「烏天狗(からすてんぐ)または大天狗に対して「小天狗」とよばれています。

*修験者は金剛杖(錫杖=しゃくじょうともいいます。鉄の輪がついていて突いて歩くたびに音が出るつえ。クマ除けにもなります)や山で使う刀、ホラ貝で作った笛を持ち、「ときん」という帽子、「すずかけ」という衣装、「ゆいけさ」という両肩から下げる房のついた帯などを身につけています。「笈(おい)」という箱を背負っています。これには仏像など大切なものを入れています。

伝説はどのようにして語り継がれてきたか。

伝説や昔話のほとんどの話は人の口から口へと伝えられてきたものです。古い本に書かれたものでも「昔こんな話があった」というようにその時代よりさらに古い話が多かったようです。特に江戸時代の人々は変わった話、不思議な話が好きだったようです。
昔は一部の人以外はあまり遠くに出かけませんでしたから、遠い国からやってくる商人や旅のお坊さん、旅芸人などから聞く話を村の人達はとても楽しみにしていました(農民は作物を育てなければならなかったので、交通の発達していなかった時代、あまり自分たちの土地から離れられなかったのです)。それで、面白い話や珍しい話は覚えやすいのですが、それをまた人に伝えるうち、少しずつ内容が変わってしまいます。似た内容でもちょっと違う話が全国にあるのは、もとは同じ話だったからです。

有名な浦島太郎の伝説でさえも一つだけではなく日本全国の海岸にいくつもあります(ということは竜宮城もたくさんあったわけですね)。たとえば亀に似た岩があったりすると、「あれこそ昔、浦島太郎が乗っていた亀に違いない」と誰かが言い出したわけです。
ほかにも、形の良い松などがあれば、そこに天女が衣を掛けたとか、池があれば偉いお坊さまが杖で突いたら水が湧き出したのだとか…。そして、それをお寺や神社などが観光の宣伝にしたのです。
さらに、そこに伝説が根付くには、岩や木や池だけでなく、昔そこに勇敢な人がいたり、可哀相な人がいたり、病気が流行ったり、火山が爆発したなど、何らかの根拠(こんきょ)や理由があったのです。
このような事を語り継ぐ人や聞く人がだんだんいなくなった今、伝説を聞き集めて記録に残そうとしている人達がいます。そして、そのような話がどうして残ったのか調べています。それが民話研究家や民俗学者というわけです。

どうですか?
話がとても長くなってしまいましたが○○さんの学習の参考になりましたか?
これからもぜひ勉強を続けてくださいね。


祭りの先導役を無事務め終えた猿田彦命。この神も天狗のイメージ作りに一役買っている(佐渡両津にて)。

もちろん返事をいただきました。
「とても参考になる内容でサンタさんからのお手紙のようで嬉しいです!」
「歴史には大変興味があります。川副様の資料で民俗学にも興味を惹かれました」
などと書かれていました。

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